ホイッスル
1991年
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1987年11月、Hammersmith Odeonで初のイギリス公演を行ったパブリック・エネミーは、ステージ登場に合わせて空襲サイレンを鳴らしましたが、もう一つホールに響き渡る音がありました。サイレンが鳴りやみ、DJのターミネーターXがターンテーブルを回し始め、フレイヴァー・フレイヴが「もっと騒げ」と観客をあおると、観客が一斉にホイッスルを吹き鳴らしたのです。それは、賛同と高揚、その場に加わろうとする気持ちを表す音でした。
お行儀の良い拍手をしている場合ではなく、ホイッスルやエアーホーンを手にした人たちの誰もが加わりたいと思う瞬間です。今こそ騒ぐ時だ、サッカーの審判が愛用するアクメのサンダラーホイッスルのような大音量の金属製ホイッスルを買うか、姉がカーニバルで持ち出していたアクメのサンバホイッスルを借りよう、と。
私がマンチェスターのHaciendaでレジデントDJをしていた時期は、アシッドハウス時代の前後にまたがっていました。1987年にHaciendaでマントロニクスがライブをした時も、ホイッスルが鳴り響いていました。その年は、レジデントたちが初期のシカゴハウスやデトロイトテクノをかけており、そうした新しいサウンドがシーンを席巻し始めていました。1988年4月までにはエクスタシーが広まり、クラブでのDJやハウスミュージックの地位が確立されていました。
しかし、ホイッスルの音を最も意識したのは、1988年の保守党政権による同性愛差別的な第28条法案に反対するデモでのことでした。数千人が参加し、ホイッスルを吹き鳴らしながらマンチェスター中心部のアルバート広場まで歩き、街を騒然とさせました。

1989年、Haciendaではホイッスルが全盛期を迎えていました。正確に言えば口笛も含めてのことで、アクメのホイッスルの助けを借りずに大音量を響かせる名手もいて、アルフォンソ・“フォンゾ”・バラーやニュー・オーダーのバーナード・サムナーがその代表格でした。中でもサムナーは、間違いなくレイブの波にのめり込み始めていました。
Hacienda以外では、ヒュームのKitchenやブラックバーン周辺のウェアハウスレイブで、さらに常軌を逸した振る舞いが見られました。アシッドシーンが初期のファンたちのものから野外レイブや大規模イベントへと広がっていくにつれ、ストラップ付きのホイッスルが定番になりました。
音楽がアップテンポになり、ドラッグが横行し、ピアノのブレイクダウンがあふれる中、イタリアやイギリスのプロデューサーがさらにテンポを上げ、初期のハードコアが誕生しました。サシャやカール・コックスなどのDJが回していた、土曜のQuadrant Parkでも、金曜と土曜のストークのShelley’s Laserdomeでも、熱狂的で騒々しい客たちが入り乱れる、最高にカオスな場となっていました。
1990年代初頭の特徴の一つとして、マイクで観客をあおって盛り上げるMCの存在が挙げられます。ミルトンキーンズのSanctuaryでは、「Dreamscape」などの大規模レイブでホイッスルが鳴り響いていました。ホイッスルは、わずか4年でヒップホップからジャンルを越え、今でいうレイブシーンに飛び火していったのです。
一方、ちょっとした分断もありました。Haciendaに通う客たちは、自分たちのことを「レイバー」ではなく「クラバー」だと認識するようになっていました。1991年の2曲が、こうした分断を如実に物語っています。クラバーはロバート・オーエンズの「I'll Be Your Friend」を、レイバーはザ・プロディジーの「Charly」を、それぞれ支持しました。
1991年から1993年は、おそらくホイッスルブームのピークだったと思います。エクスタシーには、口の中に何かを入れたくなるという作用があり、顎が痛くなるほどかみ締める人、ホイッスルをくわえる人、クラブによってはおしゃぶりをくわえる人もいました。ホイッスルを吹く人たちは、リズムを際立たせる一方で、騒音にも拍車をかけ、音はより高く、より大きく、テンポはより速くなり、感覚が飽和する中で意識が別次元へ飛んでいくような状態になっていました。
私は毎週土曜に、Boardwalkで「Freedom」というイベントを主催していました。そこでかかっていたのは、Sweet Mercyがカバーした「Take Me Away」やShades of Rhythmの「Sweet Sensation」など、比較的ミニマルな音の重なり、アップテンポなブレイクビーツ、力強いベースラインが特徴的な、女性ボーカルの名曲です。 私はフォトグラファーのピーター・ウォルシュに「Freedom」の写真を撮らないかと声をかけ、撮影してもらいました。最近、その夜について彼が語った言葉を目にしました。「Boardwalkには、紛れもないオーラがあった。地下の小箱クラブであると同時に、カルチャーの実験室でもある。べたつくフロア、低い天井、アナーキーな熱気が、街の若者たちがサウンドと煙とストロボの光にわれを忘れる夜の舞台となっていた。『Freedom』は、ただの夜遊びではなく、逃避と喜びと一体感の宣言だった。」 今のダンスフロアを埋め尽くしているのは、ホイッスルではなくスマートフォンです。誰もが積極的に加わるわけではなく、受け身です。しかしデモでは、少なくとも自由の存亡に関わる場合には、ホイッスルは今もなお抵抗のツールであり続けています。
『An Inventory of Detail』より抜粋。スコット・キング氏が企画とアートディレクションを手掛けた60ページのこの冊子は、現在フレッドペリーの各店舗にて在庫限りで配布されています。