ひたむきに身をささげ、ベストを目座して努力すること。他の誰かのためにレベルアップを図ること。
懸命に努力を重ねる独立系ライブハウスと、そこに出演しているアーティストたちは、その体現者であると言っていいでしょう。
2025年は、イギリス各地のそうしたライブハウスとバンドの双方にスポットライトを当てていきます。これは、地元のヒーローたちの物語です。
King Tut’s Wah Wah Hutのライブ会場へと続く24段の階段を上れば、スターの座を獲得していったアーティストたちをたどることができます。300人を収容できるこの伝説的なグラスゴーのライブハウスでは、階段の一段一段に、これまで出演してきたバンドの名前が書かれています。1段目には、オープン当時の1990年に出演したザ・シャーラタンズの名前もあります。その夜のことは、ボーカルのティム・バージェスも鮮明に覚えています。 その年にデビューシングル「Indian Rope」をリリースしたザ・シャーラタンズについて、バージェスは次のように語っています。
「King Tut’sでライブをすることは、僕たちにとってかなり大きな出来事でした。デビューしたてのバンドには広過ぎる会場です。ライブで食事が出たのも初めてでした!バンに乗って会場入りしたことさえ夢のように感じたのを覚えています。」 King Tut’sの会場へと続く階段にその名を刻まれているスーパースターたちは、まさに時代を象徴する存在です。1991年のマニック・ストリート・プリーチャーズとブラー、1992年のスウェード、1993年のパルプとザ・ヴァーヴ。そして1993年5月31日には、マンチェスターから押しかけてきたあるバンドが飛び入りで出演しました。
その日、クリエイション・レコーズに所属するボーイフレンドと18ホイーラーの曲が終わった後、5人組のバンドがステージに躍り出て2曲を披露しました。その夜の思い出は人それぞれですが、15分間で4曲が終わるまでに一つだけ明らかだったことがありました。それは、アラン・マッギーにはロックの未来が見えていたということです。そのバンドこそがオアシスでした。クリエイション・レコーズの社長だったマッギーは、すぐさまオアシスと契約を結びました。

32年前にその飛び入りライブがなければ、2025年の世界最大イベントであるオアシス再結成ツアーが開催されることはなく、サーバーをダウンさせた昨年のチケット争奪戦も起きなかったでしょう。そして、その夜にKing Tut’sのステージに立った若者たちの人生はもちろんのこと、2世代にわたるファンたちの人生も、まったく違うものになっていたはずです。
2021年にそのことを話した時、ノエル・ギャラガーはこう語っていました。 「アラン・マッギーがいなければ、僕らのキャリアはなかったでしょうね。結局はこうなっていたかもしれませんけど。あの夜誰かがKing Tut’sにいなかったり、2カ月後になったかもしれない次のライブに誰かがいなかったり、誰かがバンドに興味をなくして抜けたりしていたら、すべてが違っていたと思います。」
一方、100 Clubへと続く階段を下りれば、歴史に足を踏み入れることができます。イギリス最大のショッピング街であるロンドンのオックスフォードストリートの地下にひっそりとたたずむ100 Clubは、創業80年の由緒あるライブハウスとして、さまざまなアーティストたちを迎え入れてきました。そこかしこに落書きが残り、サインや写真が所狭しと飾られたこのライブハウスでは、320人を収容でき、新進気鋭のアーティストや、話題のアーティスト、現在・未来のレジェンドたちが、数多くのライブを行ってきました。出演アーティストの中には、セックス・ピストルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニー、ポール・ウェラー、メタリカ、グリーン・デイ、ウェット・レッグ、カシスデッドなども含まれます。


情熱を燃やして100 Clubを経営するホートン親子(ジェフとルビー)の友人であり、Music Venue Trust(MVT)の共同設立者兼CEOのマーク・ダヴィドは、「100 Clubとは特別なつながりがあります」と語っています。それは彼の思い込みではなく、彼がタンブリッジウェルズでForumというライブハウスを経営しているからでもありません。それは情熱から生まれた言葉です。「初めて自分でお金を払って入ったライブハウスなんです。1980年か81年にThe Soundというバンドのライブに行った時、後ろの方の柱にもたれて、家のようにくつろいだ時間を過ごして。これこそが自分のしたいことだと思ったんです。バンドはもちろん、照明や音響、ライブのスタッフ、誰がどんな仕事をしているかということにも興味がわきました。そこにはたくさんの仕事があって、自分の仕事も見つかるんじゃないかと思ったんです。」
その考えは間違っていませんでした。会場は魔法に満ちていて、その魔法を生み出すためにするべき仕事がたくさんありました。しかし、熱狂的な音楽ファンである彼の人生を変えた夜から40年が過ぎた今、ホートン親子のような人たちが魔法を維持し続けるためにやらなければならないことがさらに増えています。
100 Clubを41年間経営し続けてきたジェフは、64歳にしてなお精力的です。29歳のルビーの助けを借りながら、今も二人で週5日、年間200本のライブを開催しています。100 Clubがロンドン随一のライブハウスであることは疑いようもありません。サウスロンドン出身のフォリー・グループにとっても、12月に満員の100 Clubで行われたフレッドペリー主催ライブは、多忙を極めた2024年を締めくくる地元凱旋ライブと同じくらい重大な出来事でした。

フォリー・グループが出演した100 Clubでのそのライブは、まだ知られざるバンドと、未来のスターを育む地元密着型ライブハウスをたたえる、一連のMVTイベントの完璧な出発点となりました。 ティム・バージェスはこう話しています。「そういうライブハウスは、一種のエコシステムです。ミツバチのような。ミツバチがいなくなれば、受粉ができなくなり、穀物が育たず、食べるものがなくなって、4年で生物は滅亡します。そしてライブハウスは、バンドが成長する場です。オアシスも、コールドプレイも、サム・フェンダーも、アリーナでライブをするアーティストはみんな、最初は小さなライブハウスからスタートしています。カーディフのClwb Ifor Bachや、バースのMolesや、100 Clubは、誰もが通る登竜門なんです。」
ルビーは次のように語っています。 「フォリー・グループのライブは、100 Clubにとって素晴らしい夜でした。私たちは彼らの出演を長い間心待ちにしていたんです。季節的なイベントやクリスマスの時期のライブは毎年必ずうまくいきます。10月末から12月末にかけてたくさんのライブを開催していますが、いつも会場が盛り上がっていて、楽しんでもらえます。」
しかし、そんなホートン親子も、イギリス各地のライブハウスの経営者やプロモーターと同様に、大きなプレッシャーにさらされています。それは、200本のライブの多くが9月から2月に集中しているためです。他の時期は、フェスのシーズンでスケジュールが埋まっていたり、フェスの出演契約で小規模なライブハウスへの出演が禁止されていたりすることから、出演アーティストがなかなか見つからないのが現状です。結果的にそれが収益にも影響します。
さらに、最大の問題は経済的な事情であるとジェフは言います。「みんなお金がないんです。ロンドンの家賃の高さはばかげています。住む所を確保するためだけに高い家賃を払って、最低賃金やゼロ時間契約で働く人たちもいます。

それに加えて、会場は満員でもドリンクの売り上げが大幅に減っているという状況もあります。みんなお酒を飲む量が減って、健康に気を遣うようになっているんです。誰が何と言おうと、ほとんどのライブハウスの存続はドリンクの売り上げにかかっています。チケットの売り上げの大部分はアーティストに支払われますから、足しになりません。」
イギリスの地元密着型ライブハウスと、そこに出演しているアーティストたちは、危機に直面しています。2024年には、そうしたライブハウスが平均して毎週1店のペースで廃業に追い込まれました。MVTが1月に発表した最新の年次レポートも、イギリスにおけるツアーの末端会場の「大幅な衰退」に警鐘を鳴らしています。そうした中小規模のライブハウスは、アーティストにとって、初ライブの会場となるほか、ライブに慣れ、ファンを増やし、未来をつかむ場であるためです。 同レポートでは次のように述べられています。「1994年には平均22日間だったツアー公演が、2024年には11日間となり、この30年間でそうしたツアー会場は衰退の一途をたどっている。また、1994年にはイギリス全土の28カ所でツアー公演が行われていた。2024年には、1次・2次ツアーの公演が行われたのは主要都市のわずか12カ所のみで、小規模なツアーが定期的に開催されている。」
さらに、同レポートの統計によれば、昨年のライブハウスの雇用者数は3万人で、ライブ開催数は16万2,000本でした。これは、約150万組のアーティストが延べ2,000万人の音楽ファンの前でパフォーマンスを行った計算になります。MVTの試算によると、イギリスにおけるこうしたイベントの経済効果は5億2,600万ポンドに上ります。ただし、同レポートでは次のように述べられています。「地元密着型ライブハウスの非営利登録割合は2023年から29%増の33%となり、平均利益率はわずか0.48%で、43.8%が過去12カ月にわたり損失を計上している。これは、業界全体が実質的に1億6,200万ポンドの補助金をライブ活動に支払ったことになる。」
なお、そこでは16万2,000本のライブが観客にもたらした喜びの価値は言及されていません。なぜならそれは、誰にも試算できない価値だからです。