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サブカルチャー

ドライブの思い出



May 2024
Images courtesy of Museum of Youth Cluture

旅は、目的地よりも、そこに行くまでの過程が大事とも言われます。トロピカルなフレーバーのバカルディブリーザー、父親のぼろぼろの道路地図、HMVでまとめ売りされていたよくかけるミックステープをバッグに詰め込み、親友4人と91/92年式の白のフォード・フィエスタに乗り込んで出かける旅ならなおさらです。

運転を任されて意気揚々と出発した旅、運転を代わってもらえなくてイライラした旅、誰も道が分からず盛り上がりきれなかった長距離のロードトリップなどなど。クリエイター兼DJのニール・サマーズ、アーティストのシーナ・ギャビン、アーティスト兼デザイナーのスコット・キングの思い出とともに、若き日の懐かしい旅を振り返りましょう。

Leo & Joanne

ニール・サマーズ

1990年に手渡されたダークオレンジのルノー・14(地球を何周もしたような走行距離だった車)の鍵は、冒険への扉を開く鍵でもありました。ちゃんとした車が手に入り、僕も仲間たちも、原付の二人乗りをしたり、時刻どおりに来ないバスを待ったり、徒歩で移動したりする必要がなくなりました。誰もが僕らをこけにして楽しむ平屋根のパブや、地元のクリスチャンのユースクラブにたむろする日々が終わり、無限の可能性を秘めた道が開けました。マンチェスターでの伝説のナイトアウトやブラックバーンでのオールナイトレイブに出かけたり、チェシャーの荒野で完全に道に迷ったりしたこともあります。チェシャーと言えば、初めて就職した場所で、補聴器工場に勤めていて、ストックポートの自宅から愛車のルノーで通勤していました。音楽に夢中だったので、通勤途中に車のスピーカーが壊れた時はけっこうへこみました。電気系に強いマーフに相談したら、後部座席に木製のステレオスピーカーを2つ置いて、カセットプレーヤーにつなげてくれました。おかげで問題は解決し、チェシャーの人たちは、僕のオレンジ色の小さな車が現れるよりもずっと先に、ワールド・オブ・ツイストの「The Storm」の名曲が大音量で流れてくるのをしょっちゅう聞くはめになりました。

Julia Barwell

シーナ・ギャビン

私が運転をするようになったのは少し大人になってからですが、親友が18歳の誕生日に初めて車を持ってわくわくしたことは今でもよく覚えています。白の日産マイクラでした。最初のうちは、大音量で音楽をかけながらドライブできるのが新鮮で楽しかったです。その頃はウォーレン・Gの「Regulate」がお気に入りでした。親友の車で、ロンドン市内や郊外のレイブやフリーパーティにもよく出かけました。でも彼女は免許を取ったばかりで、駐車のルールや標識をまだ全部覚えていなくて。笑える出来事が何度かありましたけど、当時はハラハラしました。オールナイトのパーティから帰る朝に車が見つからなくて、盗まれたのかもと思いながら30分探し回ったことも数回あります。結局、駐車違反でレッカー移動されただけだったことが分かって、「えっ、また?!」っていう感じでした。

親友が運転に自信を持てるようになった頃には、パーティをはしごして、後部座席に5人ぐらいぎゅうぎゅう詰めで相乗りすることもありました。短い移動の間、手足や肘がいろんな方向にねじ曲がっていて、げらげら笑っていましたけど、次の場所に着くとほっとしましたね。みんな一斉に車から降りて、パーソナルスペースを取り戻した喜びをかみしめていました。

Emma Andrew

スコット・キング

1987年の夏に、母から新車のブルーのミニ・メトロを借りました。母は嫌がっていましたし、父も心配そうでしたが、二人で話し合って(おそらく僕の責任感を試すために)、ケイトンベイホリデーパークまで友達を乗せていくために一晩車を貸してくれました。

学校の友達だったデールとニッキーとベニーが、ケイトンベイのトレーラーハウスを1週間予約していて、僕がそこまで車で送って、一晩泊めてもらうことになっていました。全員17歳でした。ケイトンベイホリデーパークにあるディスコに行けるかもしれないと楽しみにしていました。グールに住む僕らにとって、ケイトンベイは魅力的な街でした。

出発の直前にいとこのショーンも誘って、5人で出かけることになりました。さらに、全員のスーツケースと、母親たちから渡された大量の荷物(せっけん、ベイクドビーンズの缶詰、ビスケット、カップ麺、トイレットペーパーが詰め込まれた大きな段ボール箱)も乗せてです。

トランクにスーツケースを積み、後部座席にデールとニッキーとベニーが座って膝の上に荷物を詰め込んだ大きな段ボール箱を乗せ、僕とショーンが(大柄なティーンエイジャー3人と50個の豆の缶詰を背にして)前の座席に座りました。

まさに車高が沈むほどの重量でした。車寄せでミニ・メトロに乗り込むと、僕は父から「むちゃは禁物」、「追い越し禁止」といった最後の注意を受け、「1リッターエンジンだから、これだけの荷物とお前たちを乗せてほとんど進まないし、なんとかスピードが出たらこの重さでは止まれないぞ」と何度も言われました。

僕は「もちろん追い越しなんてしないし、無理しないよ」とお利口に返事をしていましたが、

車道に出て父の姿が見えなくなると、みんな騒ぎだしました。Radio 1で流れていたリック・アストリーの「Never Gonna Give You Up」を大音量でかけながら、輝く太陽に照らされ、全員がわくわくしていました。

グールからスカボローの近くのケイトンベイまでは100キロほどの曲がりくねった山道です。レースコースとしてバイク乗りに人気の道ですが、トラクターに乗る農家やトレーラーハウスをのろのろとけん引する長い列もあり、スピードを出すと危険な道でもあります。

かなり重たく馬力不足の小型車だったので、登り坂にかかるたびに僕らの後ろが渋滞していました。追い抜きざまにスピードを緩めて中指を立てるバイク運転手もいて、坂道を登るたびにそうされるのは地獄でしたが、「スカボローまで75キロ」「スカボローまで50キロ」という標識を通り過ぎるたびに歓声を上げていました。

下り坂は話が別で、時速100キロ、110キロ、120キロと、ロケットみたいにスピードを上げて曲がりくねった一般道を下っていく僕らには、誰も追い付けません。スピードが上がるたびに僕らの歓声も大きくなりました。直線では、実際にブレーキが必要になる30秒前にはブレーキをかけていたように思います。それはいいのですが、急カーブにかかると小さな車が横転しそうになり、そのたびにみんなで叫んでいました。小さなステレオでシニータの「So Macho」を大音量でかけながら。目的地に近づくにつれて下り坂が増え、僕らの車は飛ぶように進んでいきました。最後に「ケイトンベイまで3キロ」の標識が見えた時には、もちろんみんなで歓声を上げました。

ホリデーキャンプ前の最後のロータリーについてはあまり記憶がありません。その前に急な坂を下っていったことは覚えています。浮き足立って、シンプル・マインズの「Waterfront」を大声で歌いながらハンドルをばんばんたたいていたことも。でも、スピードを落としてロータリーを回った覚えがないんです。ブレーキが間に合わず、ロータリーの芝生に乗り上げて、2頭のイルカがジャンプしているMDF材の看板に突っ込んでしまいました。イルカを破壊した僕らは、全速力でロータリーを抜けて、ミニバスと原付のおじさんの間に滑り込みました。まるで「爆発!デューク」のワンシーンのように。ジェネラル・リーは、ベイクドビーンズとトイレットペーパーが山積みのミニ・メトロではありませんが。

ロータリーの反対側でようやくブレーキがかかり、「ケイトンベイへようこそ」と書かれた看板までも破壊するのをぎりぎり回避して停車すると、僕らは数秒間黙ったまま座っていました。誰も歓声を上げていなかったことは確かです。

Mark Charnock

ミュージアム・オブ・ユースカルチャーでは、車とドライバーを収めたベストショットを募集しました。ここではその中から、友人たちとどこかへ向かうドライブの盛り上がりや期待に満ちた雰囲気をよく捉えている写真を取り上げました。