マンチェスターは、革新的な音楽やサブカルチャーファッションに深く結び付いた歴史を誇る街です。70年代後半や、80年代のポストパンク時代に、ザ・スミス、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、ア・ガイ・コールド・ジェラルド、ハッピー・マンデーズ、ザ・フォール、ザ・ストーン・ローゼズなど、マンチェスターを代表するバンドやアーティストが輩出されました。長きにわたり人々の心に残っている彼らの存在は、後続のミュージシャンやファンたちの音楽的嗜好やファッションに影響を与えています。同様に、ファクトリー・レコードやハシエンダなど、マンチェスターで生まれた著名なレコードレーベルや往年のクラブも、伝説的存在として世界中に知られています。
もう一つ、マンチェスターっ子はもちろん、遠方から訪れる人々に長く愛されてきたのが、ノーザンクォーターにあり個性的なスタイルのメッカとして知られるAfflecksです。1982年にAffleck’s Palaceとして開業した赤レンガ造りの4階建て大型ビルで、40年にわたってあらゆるオルタナティブスタイルの美的センスを取り入れ、メインストリームファッションと一線を画してきました。
デールストリート、ティブストリート、チャーチストリート、オールドハムストリートの交差点に挟まれたその建物の歴史は、1860年代までさかのぼります。元々はAffleck & Brownという服地店が入っていましたが、その後に同名のデパートに改築されました。しかし、客足が徐々に遠のき、1973年に閉業に追い込まれてしまいます。その後1982年に、使い古されたビルをジョン・ウォルシュとエレイン・ウォルシュが借り上げ、事業を立ち上げるために小規模なスペースを必要としていたクリエイティブな若手起業家たちに貸し出すようになりました。ロンドンのケンジントンハイストリートにあるKensington Marketや、チェルシーのキングスロードにあるThe Great Gear Market(現在ではいずれも再開発のために取り壊されています)と同じような形態でしたが、賃料を低く設定したり、週払いを認めたりしたほか、事業が失敗に終わった場合は1週間前の通知でも賃貸契約を解除できるなど、借り手に有利な条件を提示していました。 こうした好意的な条件によって、他に類を見ない自発的かつ実験的な姿勢の小売ビジネスの展開が可能になりました。この点は現在のAfflecksにも受け継がれています。

80年代前半、Affleck’s Palaceのテナントの多くは、魅力的なヴィンテージの古着(当時は「ヴィンテージ」ではなく、ただの「古着」と呼ばれていました)を集めたお店でした。店内には、30年代、40年代、50年代以降のアイテムのほか、若手デザイナーによるオリジナル商品、ポスター、レコード、レトロなアクセサリーが所狭しと並び、パンク、モッズ、ルードボーイズ/ガールズ、ロカビリー、ゴス、マニアックな学生、ソウルファン、個性的な若者たちが訪れていました。はき古した本物のリーバイス501、ハリントンジャケット、ポロシャツ、クラシカルなバイカーブーツなど、あらゆるものを探し求めて棚を物色する姿が日常的に見られたものです。イギリス全土で高級化が進み、メインストリートが整備されるよりもずいぶん前の話で、今とは違って、そのごちゃごちゃとしたカラフルで雑多な雰囲気を誰も気にしてはいませんでした。Affleck’s Palaceの最上階には時間をつぶすのにぴったりのカフェもあり、80年代初頭にはまだそれほど有名でなかったモリッシーが食事している姿も時折目撃されていました。後年には、ハッピー・マンデーズやザ・ストーン・ローゼズのメンバーも訪れていました。
80年代後期になると、アシッドハウスや、エクスタシーで盛り上がるレイブに、当時台頭してきたインディーズのダンスミュージックのクロスオーバーが加わり、イギリスの若者たちのカルチャーに変革がもたらされつつありました。その傾向が最も顕著だったのが、マンチェスターとその周辺地域です。ハシエンダが史上最もおしゃれなクラブの一つとして幅広く人気を集める中、ブリティッシュポップス界ではハッピー・マンデーズやザ・ストーン・ローゼズが新たに頭角を現していました。レイブにぴったりのカジュアルなスタイルの先駆けとなった彼らのファッション(ルーズヘアにバケットハットをかぶり、大きめのTシャツやシャツに、ゆったりとしたジーンズやフレアパンツやトラックスーツを合わせたスタイル)は、ヒットチャートやありきたりなファッションを敬遠する、イギリス全土のマルチカルチュラルでやんちゃな若者たちに熱烈に支持されました。その当時、Affleck’s Palaceでは、入り口に店を構えていたEastern Blocというおしゃれなレコード店が、アップテンポの激しい曲を探し求める人々にホットなアンダーグラウンドダンスミュージックを売り込んでいたほか、朝まで騒ぎ明かすニューウェーブの享楽主義者たちにぴったりのカラフルでゆったりとしたファッションを取り扱うテナントが数多く出店していました。マンチェスター周辺の熱狂と狂乱が高まり、メディアにおいて「マッドチェスター」とユーモラスに呼ばれるようになった80年代後期から90年代初頭には、Affleck’s Palaceがそうした狂騒の中心地となっていました。


その後の数年間、Affleck’s Palaceについての暗い話題が続きました。特に、ジョン・ウォルシュとエレイン・ウォルシュが当初締結した25年間の賃貸契約がついに満了となったことは残念なニュースとして報じられました。その後もAffleck’s Palaceの閉業や再開発のうわさが流れ、一部のテナントの撤退につながるなど、不安定な時代が続きます。しかし、2008年4月に、新しい経営陣がAffleck’s Palaceの精神を受け継ぐことを約束し、名称を「Afflecks」と改めた上で同名のウェブサイトを開設したことで、新たな時代が幕を開けました。その後、現在に至るまでの約20年間、ヘアサロン、タトゥーショップ、ピアスショップ、美術用品店、レコード店、ヘンプ専門店、カフェやテイクアウト専門店、ヴィンテージの古着と最新ファッションを織り交ぜて提供するセレクトショップなど、新しいテナントが次々と加わり、Afflecksは毎週数千人の買い物客が訪れる人気スポットとして発展を続けてきました。
1982年から残る古株と新入りのテナントが入り交じる中、フレッドペリーの新店舗も自然に溶け込んでいます。その店舗スペース(および併設されたショールーム)は、「過去、現在、未来」をテーマとして設計されており、Afflecksのサブカルチャーの歴史や将来を見据える姿勢ともよく調和しています。まさにフレッドペリーにふさわしい、考え抜かれたスマートな店舗と言えそうです 。北部地域への出店に際し、内装と体験の設計を手掛けたBrinkworth Designでディレクターを務めるソニー・カント氏は、次のように語っています。
「あまりノスタルジックに過去を振り返らないようにする一方で、街の産業遺産や綿工業とのつながり、近郊のストックポートで生まれたブランドの創業者であるフレッド・ペリー氏のイメージを反映させています。この店舗では、効率的な空間利用、本物の素材の大胆な活用、シンプルかつ堅牢なディテールなど、地元でよく見られる工場や生産ラインを参考にして、産業の実用主義的な方針を取り入れています。」同社でアソシエイトディレクターを務めるリサ・クラッチリー氏も、店舗について次のように語っています。
「フレッドペリーそのものだけではなく、マンチェスターのフレッドペリーを象徴するようなスペースとなっています。フレッドペリーというブランドは、音楽やアートを通じて、マンチェスターのカルチャーの歴史に深く根付いています。そのことが反映されているので、お客様にとって居心地の良いスペースになっているはずです。」 そうしたすべての要素が、フレッドペリーとAfflecksの伝統と革新に対するコミットメントは揺るぎないものであり、今後も継続されていくことを物語っています。 オールドハムストリート41-43番地(M1 1JG)にある新店舗にぜひ足を運んでみてください。