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サブカルチャー

サブカルチャーの定番アイテムの確立



Words by Liam Saunders

ライダースジャケット、フレアパンツ、ピケポロシャツなど、ファッションアイテムの中には、たまたま取り上げられ、本来の用途とは違う形で転用されるものがあります。例えば、元々はバイカーやテニスプレーヤー向けに作られたものが、本来の意図とはかけ離れた意味やイメージを与えられ、サブカルチャーのアイコンとなっています。

かつてはありふれたものとされていたアイテムが、特定のカルチャームーブメントに結び付き、定番となっているのはよくあることです。では、それがなぜ、どのようにしてそうなるのでしょうか。他のアイテムは注目を浴びない中、なぜ特定のアイテムだけがサブカルチャーの定番アイテムとなり、パンク、モッズ、ゴス、ヒッピーのスタイルにおいて果たす役割が定義されているのでしょうか。

サブカルチャー(これ自体が議論を呼ぶ用語ですが)の学術的研究は、1960年代にバーミンガム大学に設立された権威ある研究拠点である現代文化研究センターから始まりました。スチュアート・ホールが1970年代の大半にわたりセンター長を務めた同センターでは、長年にわたり戦後のイギリスにおけるサブカルチャーの研究がなされ、ホールをはじめとして、ディック・ヘブディジやジョン・クラークといった研究者たちがサブカルチャー集団の台頭に着目しました。特に焦点となったのが、新たなサブカルチャーの形成におけるファッションの役割でした。

クラークは、1970年代中頃に出版された『Resistance Through Rituals: Youth Subcultures in Post-War Britain』において、ファッションアイテムが新興サブカルチャーと結び付いて新しい意味を持つに至るまでに、そのアイテムに関する意味がどのようにして変わっていくのか、「変容と再構築(transformation and rearrangement)」の過程を解説しています。 パンクスがライダースジャケットを取り入れ、モッズがスクーターをカスタマイズするように、そうした過程が独自のスタイルの誕生につながっています。クラークによると、そのスタイルはさまざまな役割を持っています。それは、サブカルチャーのアイデンティティの体現であり、自己の捉え方でもある一方、仲間とそうでない者、味方と敵を分ける、集団の境界線を定めるものでもあります。

その数年後、ヘブディジも『Subculture: The Meaning of Style』という影響力のある著書において、サブカルチャー集団が「目立たないもの(humble objects)」を「盗用(stolen)」し、新しい意味を与えることで、主流に対する「反抗を表現する(express a form of resistance)」方法について述べています。サブカルチャー集団とそのメンバーは、あるファッションアイテムを取り入れ、その意味を覆すことで、世の中が確立した様式に異議を唱え、自分たちは従っていないと考えていた凝り固まった制度への抵抗を示してきました。

Image courtesy of Chloe Ackers
Image courtesy of Chloe Ackers

「ブリコラージュ」と呼ばれることが多いそうした過程をかつて研究していたアンドリュー・グローブス教授(ウエストミンスター大学ファッションデザイン学科教授兼ウエストミンスターメンズウェアアーカイブ所長)は、次のように述べています。「それはサブカルチャーの形成基盤を成すものです。特定の意味を持つファッションアイテムを取り入れ、相反する意味を持つ服と合わせて対比させることで新しい解釈をする能力です。その結果、新たな意味が生まれ、新たなサブカルチャースタイルにつながっていくのです。イギリスでは、階級が重要な役割を果たしてきました。自分の地位を上回る装いをすることで、ごく簡単に社会のヒエラルキーを覆すことができるからです。そのために、カジュアルズは中産階級のレジャーファッションを、1960年代のモッズはフレッドペリーのポロシャツを取り入れました。」

グローブス教授が示唆するように、フレッドペリーのポロシャツはサブカルチャーのブリコラージュにおいて重要な要素となっています。このアイテムが新たな意図で取り入れられるようになった理由はいくつかあり、グローブス教授は次のように語っています。「ウィンブルドン3連覇を達成するなど1930年代に活躍したテニスプレーヤーであるフレッド・ペリーは、ストックポートの労働者階級の生まれです。エリート主義が定着していた当時のテニス界とはまったく対照的な存在でした。1960年代初頭に台頭したモッズは、労働者階級が大多数を占めていたイギリスのサブカルチャーです。『フォーマルなインフォーマル』という厳密なドレスコードの下で、フレッドペリーシャツを取り入れ、モヘアスーツを着ていました。イギリス人男性の伝統的な装いを覆しつつ、そのアイテムの一つに敬意を払っていたのです。」

Image courtesy of Chloe Ackers
Image courtesy of Chloe Ackers

サブカルチャーが隆盛を誇っていた戦後のイギリスでは、特定のファッションやスタイルを取り入れることで主流のカルチャーを常に覆していました。ロンドン芸術大学のサブカルチャーインタレストグループの共同設立者であるケビン・クイン氏は次のように述べています。「服を破き、ありふれたもので着飾るパンクスタイルや、質素なスーツを身にまとうポストパンクなど、いわゆるスタンダードのスタイルを取り入れ、本来の解釈から切り離したり別の解釈に当てはめたりして、特定の様式や意図をアピールする事例は数多くあります。」

服などのアイテムを取捨選択して着用し、カスタマイズやアレンジを加えるプロセスに目を向けることも重要です。クイン氏は次のように続けます。「そうすることで、社会の様式と傾向を観察できると思います。権力構造や階級制度が、そこに属していても属していなくても、どのように作用しているかが見えてきます。アクセスやそのコントロールの問題は、意識レベルでも無意識レベルでも、サブカルチャーにおいて重要な要素です。サブカルチャー研究は、社会文化的な歴史や政治的な動向といった、より幅広い研究のためのレンズやプリズムのような役割を果たすことができます。 若者や青年期と成人期といったテーマに焦点を当て、ある段階から次の段階への移行を示すこともできます。」
さまざまなアイテムを用いて独自のスタイルを生み出すサブカルチャーファッションのブリコラージュ的アプローチは、ありふれたものをサブカルチャーの象徴へと変えてきました。テニス用のポロシャツとして誕生したものの、世界中のモッズ、ロッカー、パンクス、ラッパーたちに愛されてきたフレッドペリーシャツは、その典型といえます。そうしたあらゆるサブカルチャーが、フレッドペリーシャツに何かを見いだして新しい意味を与え、主流のカルチャーを批判し、覆し、あざ笑う手段としてきました。そのすべてが1枚のピケシャツに詰め込まれているのです。