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サブカルチャー

フロム・ザ・アーカイブ:土曜日は何のためにあるのか

2022年6月

フレッドペリーと美しいゲームとの本質的なつながりをご紹介します。

フレッドペリーとフットボールの関わりは、1930年代、当時イングランド王者だったアーセナルFCに、シーズンオフの冬の間、フレッドがトレーニングの参加を依頼したことに始まります。ピッチを何周も走り、北側スタンドを上り下りし、テニスのパフォーマンスのために一年中コンディションを維持するという試みは、当時のスポーツ界に革命を起こしたのです。毎日、強豪アーセナルと一緒にトレーニングすることで、彼は猛々しい選手に成長しました。さらに、トレーニング、戦術、技術の面で他のチームより何年も先を行っていたアーセナルのトレーニングに加わることが、(現在のプロスポーツでは常識となった)厳しい練習方法をフレッド自身が取り入れるきっかけとなりました。アーセナルの選手たちのヘディングやリフティングのスキルは驚異的で、ロンドンのパラディウム劇場で披露したことがあったほどでした。

また、ハイバリースタジアムという美しいアールデコの建造物で練習できることそのものが、フレッドにとってインスピレーションの源になりました。ロンドン北部にあるこの第2種指定建造物に指定されたスタジアムは、最先端のジム施設や床暖房付きの豪華なロッカールームを誇り、すべてのチームがうらやむ存在だったのです。特徴的な大理石のホールと美しくデザインされた内装は、フレッドが貫いた、コート上でもコート外でもセンスとスタイルにこだわるという姿勢と通じるものがありました。1936年にウィンブルドンで3度目の優勝を果たすと、彼は国民的ヒーローとなり、国中で行われる親善試合には何千人もの観衆が集まりました。1937年にフレッドは、リバプールFCの本拠地アンフィールドスタジアムでEllsworth Vinesと対戦しました。Kopの愛称で知られる急斜面スタンドの下に設置された仮設の木製テニスコートで行われたこのエキシビションマッチには、11,000人の観衆が集まりました。フレッドは1セットダウンから6-1、6-4、6-4で勝利し、これは後世に語り継がれる歴史的な試合となりました。

1952年に発売されたオリジナルのM12フレッドペリーシャツは、襟にティッピングを施した最初のスポーツシャツでした。ウェストハムFCのファンは、ピカデリーの有名なスポーツショップ「リリーホワイト」に、チームのカラーでフレッドペリーシャツを作れないかと持ちかけました。そしてフレッドペリーの承認を得て、マルーンとアイスブルーの2本のティッピングが追加されました。フットボールとのつながりは、フレッドペリーシャツを着たファンだけにとどまりません。1960年代後半、フレッドペリーはソーホーのゴールデンスクエアの本社から、ベルギーの3つのフットボールチームのユニフォームのデザインを手がけました。RSCアンデルレヒト、クラブ・ブルッヘ、スタンダール・リエージュの選手は、それぞれチームカラーを配したフレッドペリー製のユニフォームを身にまといました。1960年代、ベルギーのフットボール界で圧倒的な強さを誇っていたRSCアンデルレヒトは、1962年に世界一の強豪レアル・マドリードを打ち破るという快挙を成し遂げます。その衝撃は世界中のフットボール界に波紋を広げ、アンデルレヒトの名を轟かせました。彼らのホームユニフォームのカラーであるパープルとスノーホワイトの配色は、フレッドペリーのM12シャツによく合っていました。「ワッペンと刺繍されたローレルリースの位置は、非常にモダンで気品がある。今日のユニフォームにおけるクラブワッペンやロゴ位置の規定には少し抵抗があり、想像力に欠けていると感じている」と、フットボールユニフォームの専門家で歴史家のJohn Devlinは言います。「フレッドペリーがデザインした、ベルギーの3つのユニフォームは素晴らしい。ピッチ上での効果性と、ピッチ外でのスタイルを完璧に両立しているように見える」

フレッドがハイバリースタジアムでトレーニングを行ってから40年後、RSCアンデルレヒトは、ハイバリーで行われた都市対抗カップ決勝でアーセナルと対戦することになりました。アーセナルは合計4-3のタイで優勝。第1戦で3-1とリードされた後、第2戦で3-0と見事な逆転勝利を収め、クラブ史上初の欧州トロフィーを手にしたのです。1970年代では、ゴールキーパー同士がユニフォームを交換することはほとんどありませんでした。しかしこの日、アーセナルのBob Wilsonはアンデルレヒトのキーパー、Jean Trappeniersとユニフォームを交換しました。Jean Trappeniersは背中に大きな数字の「1」が入ったフレッドペリーの長袖のゴールキーパー用のジャージを着ていました。Bob Wilsonは、フレッド自身がかつて練習していたハイバリースタジアムの北側のスタンドで、歓喜に満ちた観衆を前に祝杯を上げました。その夜は、今日でもしばしば「ハイバリー史上最高のパーティ」と呼ばれています。Paulo Hewittと『The Fashion of Football』(2004年)を共著したMark Baxterは、フレッドペリーが持つ普遍的な魅力について、重みのある文章を残しています。「オリジナルのフレッドペリーシャツのシンプルさは、いつまでも古くなりません。いつの時代にも通用するクラシックなデザインなのです。モッズ、フットボールファン、インディキッズなど、どのようなグループが身につけても、つねにクラシックで、言葉で説明することなく、多くを語ることができるのです。ファッションとフレッドペリーは、これまでも、そしてこれからも、フットボールの一部であり続けるでしょう」