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サブカルチャー

ロンドン生まれのUKガラージ



Words and playlist by Ellie Rousseau
Photos by Tristan O’Neill, courtesy of the Museum of Youth Culture

週末を生きがいとすることがライフスタイルの一つとしてもてはやされた90年代の2ステップ時代から、アーティストたちが新たなオーディエンスにそのサウンドを届けている現代に至るまで、UKガラージの歴史をたどります。

現在「ガラージ」として知られている音楽のルーツは、70年代後期から80年代にかけてアメリカで確立されたものです。DJたちが、ポップロック、ディスコ、初期のヒップホップ、ソウルといったさまざまなジャンルを融合させてプレイしたことがその始まりです。LGBTのクラブであったパラダイス・ガレージでプレイされていた、このいろいろな要素を織り交ぜたミックスは、たちまち「ガラージミュージック」として知られるようになりました。DJトッド・エドワーズは、ボーカルサンプルを切り刻んでキャッチーなサビにリミックスし、ガラージサウンドに磨きをかけました。それがノースロンドンでも流行したのは、90年代初期のことでした。

イギリスのクラブでは、DJたちが営業時間外にアメリカのボーカルトラックのミックスをピッチを上げてプレイするようになり、ジャングルシーンですでにその手法を取り入れていた地元のMCたちが流れに乗りました。初期のこうした動きは、「サンデーシーン」と呼ばれていました(ドラムンベースのレーベルであるメタルヘッズがホクストンのブルーノートで開催したSunday Sessions など)。なぜなら、大箱のクラブは集客率の高い曜日にガラージのイベントを入れる気がなかったためです。

当時はアメリカからレコードを輸入するのは高くついたため、イギリスのプロデューサーたちは、独特なUKサウンドを取り入れたガラージのレコードを自ら制作し、Nice’N’RipeやSwing Cityなどのレーベルでリリースし始めました。これがUKガラージの起源です。The Gas Clubは、1993年のある日曜にSpread The Love Projectを開始しました。また、パブのElephant & Castleは、UKガラージのイベントを開催し、日曜にミニストリー・オブ・サウンドから流れてきた客がアルコールの販売が再開されるまで余韻に浸れるようにしていたことで知られていました。DJたちは、ピッチコントロールでテンポを上げたサウンド(ここから生まれたのがスピードガラージ)を、オフィスワーカーや、ルードボーイ、ミニストリー・オブ・サウンドのドアマン、サッカー選手、テレビのスター、それらの仲間たちで埋めつくされたダンスフロアに流しました。派手なツーピースのスーツやレザーパンツを身にまとい、シャンパンを飲む彼らの様子は、いかにもお金をかけていそうでした。2000年代前後にUKガラージに夢中だった人たちは、週末のためにドレスアップしていました。

1996年から1997年にかけて、ドラムンベースのプロデューサーたちは引き続きガラージにUKテイストを織り交ぜ、それまでのスピードガラージに加えて2ステップのビートを編み出します。そうしたコンピレーションに多くの人が飛びついたため、サウンドの斬新さは長続きしませんでした。1998年頃には、リンスFMやデジャヴュといった海賊ラジオ局のFM放送でUKガラージが頻繁に流れていました。FMのDJたちが、レコードを猟盤してはロンドン周辺の高層ビルにアンテナを立て、街中にUKガラージを拡散していたのです。やがて、すれ違う車からもUKガラージの爆音が聞こえてくるようになりました。

2000年代初期には、UKガラージがチャートに入り、BBCの地上波ラジオでもかかるようになります。1990年代から2000年代には、UKガラージは急激な進化を遂げ、よりハードなブレイクビーツやダークなトーンがグライムやダブステップに取り入れられるようになりました。2010年代には、著名プロデューサーによる新曲の発表や、多くの新人アーティストの登場によって、UKガラージの人気が再燃しました。UKベースミュージックではよくあることです。ロックダウン後には、新しいタイプのUKガラージも生まれ、UKガラージの独特のサウンドが次世代に広がっています。