Twitter Line Facebook Share
サブカルチャー

Spotlight on: Towelling(タオル素材にスポットライトを当てる)

2022年4月
Words by Ben Perdue

ウィンブルドンのきれいなコートからニューヨークの路地裏まで、タオル素材の歴史をたどり、その関連性がどのように今日まで続いているのかを紹介します。

さまざまなカルチャーのシーンにはルールや忠誠心というものが付きまといますが、生地そのものにはありません。だからこそ、タオル地のような個性的なテキスタイルが、多種多様のカルチャーを象徴するスタイルとなるのです。

40年代、フレッド・ペリーがテニス用のスウェットバンドを最初に共同開発したとき、このアイテムが80年代のエクササイズビデオやヘビーメタルに影響を与えるとは誰も予想できなかったでしょう。しかし、テニスコートからストリートへと進化したのと同様に、より革新的なユースカルチャーがタオル地を身につけはじめたことで、ブランドが持つ反体制性が強化されていきました。ロンドンのBボーイ&Bガールシーンは、もともと70年代後半にニューヨークの地下鉄から生まれて大西洋を飛び越え、コヴェントガーデンの石畳に上陸しました。フレッドペリーのセブンダイヤルズ店からすぐ側の場所です。

グラフィティの先駆者、ヒップホップミュージシャン、ブレイクダンサーたちにとって、アートや音楽、ダンス同様にスポーツウェアは非常に大切な要素でした。タオル地のリストバンドやヘッドバンドは、特にブレイカーの間で流行しました。テニス選手が重宝していたその吸水性は、ダンスバトルで汗を流すクルーたちにとっても役立つ機能でした。

タオル地はMalcolm McLarenの“Buffalo Gals”のビデオによって不滅のスタイルを確立しました。さらにその後もパンク、ディスコ、バッファロー、ボールカルチャーといったサブカルチャーを渡り歩きました。その一方で、80年代には、新世代の旅行者たちにまで波及するように。流行りのタオル地でできた高級レジャーウェアに身を包み、プールサイドで飛んだり跳ねたりする彼らの姿が見られるようになりました。コヴェントガーデンの冷たい石畳の上でブレイクダンスをしていた労働者階級の若者たちは、ファッションを通じて自分の夢を叶えたのです。