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サブカルチャー

難波ベアーズ: 大阪伝説の ノイズ系アジト

Words by Miranda Remington
Photos 提供:難波ベアーズ

大阪の伝説のパンク系ライブハウス・難波ベアーズに入ってみると。

難波の一等地から離れた、くすんだ一角。レザーで身を固めた数人の人影が、地下へ続く階段のそばに集まっています。その上にかかる青いテント看板に書かれている文字は、「BEARS – 1986」。活気に満ちた大阪の街には楽しげな会話があふれていますが、ここで聞こえてくるのは、すぐ下の地下で発生している断末魔のような騒音です。階段を下りて難波ベアーズに足を踏み入れます。ここは大阪の伝説的パンク系ライブハウス。数十年にわたって夜行性のオーディエンスたちに音を提供してきました。ここで目にするのは、ノイズ好きのレジェンドたちや悪名高いハードコア・ヒーローたち、凶暴なクラスト系バンドの大物たち、爆音の王国で楽しもうと集まってきた地元のアウトサイダーたちです。

2018年9月4日、台風21号が大阪を直撃。開店以来「ベアーズ」の入り口を飾っていた店名入りのテント看板がボロボロに。(写真:USGKZ)
災い転じて:2018年11月、「1986」と記された新しいテントが完成。ベアーズは今なおやる気満々!(写真:Motohisa Ishihara )

狭い階段を抜けて薄暗い空間に足を踏み入れると、ライブハウスそのものを音の塊として体験することができます。逸脱パンクやメタルクラスト、ハードコア、エクスペリメンタル・ノイズ、アナログなインダストリアルサウンドが、イギリスの音響システムに慣れた者なら思わず飛び上がるほどの大爆音で迫ってきます。漆黒のシルエットと大粒の汗となって見え隠れする、音の反響を背景にぶつかり合い、モッシュする肉体。ステージ上でテンポチェンジが正確無比に行われ、ドラムが爆速で叩かれ、ギターが鋭くかき鳴らされるたびに、中身がアサヒビールであれ、お茶であれ、焼酎であれ、すべての缶の中でさざなみが起こります。壁に貼られたポスターを見れば、びっくりするほどのレジェンドバンドが常連出演者だったことが分かります。その名も少年ナイフ、アシッド・マザーズ・テンプル、メルツバウ、おとぼけビ~バ~。難波ベアーズの客たちは夜な夜な熱狂の渦に巻き込まれ、それにつれて欠けた歯を見せて笑顔を輝かせる人物が数人います。

このステージのサウンドは、パンクの歴史における日本人の声として際立っています。重くフィードバックを効かせた複雑なリフが驚異的なまでの戦闘的ともいえる正確さで演奏される一方、爆発的で肉感的なサウンドスケープが地上にある抑圧的な社会とのコントラストを成します。際立っているのは、ギターベースのジャンルと突然変異的なエレクトロニックのジャンル。楽器の回路と転用された電子ペンチで歪められて、日本の隙が無いテクノロジーの枠組みに対抗する音響兵器となっています。セックス・ピストルズやブラック・フラッグのTシャツ、ダメージパンツ、チェーンを誇らしげに身につけたオーディエンスと大阪らしい古着系ストリートファッションが混ざる様は、遠く離れた地でデフォルメされた反体制派の歴史を見るよう。彼らの装いは模倣を超越し、アウトサイダーとしての不屈の誓い、あるいは同調的な日本社会に対する激しい反動の主張を表現するものとなっています。

アメリカのグラインドコアバンド、ブルータル・トゥルースのシークレットライブ。1993年8月6日、ベアーズにて。

しかし、頭が割れそうになる集会の中心である難波ベアーズは、この店が特定のカテゴリーに分類できない、あらゆるサウンドや個性が容易に溶けこめる場であることを、自ら証明しています。ここはサイケ、フォークに加えあらゆる試験的なニッチの実験的なセッションが繰り広げられ、さまざまなジャンルが際限なく融合し続ける場であり、入店者の誰もがオープンなボヘミアン精神で迎え入れられる場です。難波ベアーズに集う人たちから発せられるピュアな生命力は、東京の音楽シーンの禁欲主義とは程遠いもの。耳をつんざく爆音が轟いても、疎外感など感じません。

ほとんど超常的なほどの難波ベアーズの空気感ですが、そのプログラムの監修を手がけているのが外ならぬ山本精一氏であることが分かれば、それも納得です。彼は圧倒的にカルトなディスコグラフィーのある、日本で最も前衛的なノイズロックバンドであること間違いなしのボアダムスのメンバーなのですから。日本のパンク、ジャズ、ノイズ ミュージックの歴史の極北に位置するボアダムスは、限界を容易に打ち破り、耳をつんざく大音量の中から新たな表現を推し進めてきました。ボアダムスの面々は未知なるものを深く掘り下げ、ポップ・サイケデリアやスペイシーエレクトロニック、トライバルドラムをギターファズに融合し、大音量や暗闇の向こうにある陶酔の世界を志向します。彼らはあたかも社会のあらゆる階層のノイズを取り入れるかのように、DJあるいは芸術家として多くの周辺プロジェクトを手がけながら、爆音に信仰にも似た可能性を探り、音楽全体に新しいものを見出してきました。

ありじごくによるパフォーマンス。1990年10月、難波ベアーズにて。

ボアダムスのギタリスト、山本氏がオーナー店長を務めるこの難波ベアーズは、好奇心旺盛なオーディエンスを次に何が起こるか予測不可能な領域へと引き付け続けます。そのロケーションは異世界のエネルギー(はおろか、怪談さえ)も引き寄せると言われており、30年にわたる店の歴史には謎めいた出演者に関する都市伝説もいくつかまとわりついています。山本氏によると、この点については開店当初からほとんど変わっていないそうです。難波ベアーズでは特定のカテゴリーに分類できない活動を取り上げ続け、常に音楽の可能性を拡大してきたのがその理由だと山本氏は話します。「店の精神は変わりません。音楽である必要すらなく、訳の分からないものであっても、面白ければいいんです」。

難波ベアーズが周辺のライブハウスと違うのは、パンクやインダストリアルが大流行していてもプログラムに制約を設けず、実験的なパフォーマンスの過程にオーディエンスが自由に参加できるようにしていることです。また、スタッフ全員がテイストメイカーとして活動しており、自らコンピレーションした実験的なサウンドをリリースしたり、コミュニティのメンバーにイベントのキュレーションを任せたりしています。自然発生的な突拍子もない集会やエキセントリックなバンド名、騒音に対する苦情に対応する合間に、難波ベアーズでは「UFOシンポジウム」、「ロックミュージック茶会」、「血まみれ漫才」といった謎のテーマのイベントも開催しました。

キャロライナー・レインボーのパフォーマンス。1994年12月2日、天保山ベイサイドジェニーにて。この日のメインアクトはボアダムス。キャロライナー・レインボーは衣装制作のため、前もって大阪入りしました。

ビジターパフォーマーは、スタッフ全員が自らアーティストとして活動する空間の中、比較的小さな空間がもたらす親密感にも助けられ、ホームにいるような感覚を持てます。また、店の歴史の中で徐々に客が客を呼び、なんでもありの空間に集まるコミュニティで内輪の約束ごとができました。こうした気質はオーディエンスが数人しかいない夜でもあまり変わらず、パフォーマンス全編を床に寝そべって観るオーディエンスもいます。そんなわけで、難波ベアーズは音楽のコミュニティで「あほの巣窟」としての圧倒的なステータスを謳歌しています。ちなみに、店にはバーもなく、アサヒビールのクーラーボックスが適当に置かれているだけ。この店で最優先されるのは、常に音楽なのです。

Shonen Knife. September 19th 1991

難波ベアーズには、極限のサウンドとの出会いがあります。そのアーティキュレーションにより、パンクにSF、西洋の影響に東洋の精神、アナーキーに束縛のない喜びが浸透していきます。ベアーズで響くサウンドの源は、ピュアな好奇心。日本の音楽シーンを世界的にも類を見ないものとしたのも、この好奇心です。ただし、期待を超えることは容易ではありません。西洋の傍観者から押し付けられた陳腐な表現の中、さらには国内では最新カルチャーの標準化が進む中、何十年にもわたって慎重に育まれてきた実験的環境の下、最も破壊的な表現が成長を続けている場があります。それがここ、難波ベアーズなのです。日本を中心とした重いフィードバックは長年にわたり、大西洋をまたいで魅力を発揮してきました。しかし難波ベアーズでは、こうしたノイズの真髄が関係者の身内的な関係性の中で維持され、大阪のパワフルで派手やかな魅力の中に隠されています。

A performance by Brain Trust Namba Bears, September 1993.