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サブカルチャー

マンチェスターのレイブよ、永遠なれ



2023年5月
Words by Kamila Rymajdo
Photos by Peter J Walsh courtesy of Museum of Youth Culture

ハシエンダが最盛期にあった80年代から、未来を見据えた新たな取り組みまで、マンチェスターのレイブシーンの歴史をたどります。

マンチェスターとレイブカルチャーには長年にわたる関係性があり、よく引き合いに出されるのが、良くも悪くも有名なクラブだったハシエンダです。ハシエンダは、マンチェスターに拠点を置くファクトリー・レコードの成功を受け、かつてヨットのショールームだった場所で1982年に開業しました。ファクトリー・レコードは、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、ハッピー・マンデーズの楽曲のリリースで知られるレーベルです。ハシエンダは、ファクトリー・レコードの創設者であるトニー・ウィルソンがニューヨークで見つけたクラブをモデルにしていました。たちまち大成功というわけにはいきませんでしたが、徐々にその見識、審美眼、音楽の方向性における先進性が知れ渡っていきました。

現在、その精神はWarehouse Projectに継承されています。2006年に立ち上げられたこのクラブイベントでは、サシャ・ロードとサム・カンデルがプロモーターを務めています。彼らは、マンチェスターでもう一軒の有名なクラブだった、サンキーズに携わっていました。サンキーズは、世界最大級のラインナップと大規模なパフォーマンスを誇る一流クラブでした。Warehouse Projectは、あらゆるテイストに対応することをその義務と心得ており、週末には、ペギー・グー、シック、ミーガン・ザ・スタリオンといった幅広いラインナップを楽しめます。また、シーズンごとのアプローチや会場の移動は、イベントが進化し続けていることを物語っています。

雨の街と呼ばれることが多いマンチェスターには、小規模なライブハウスも複数あり、その評判は上述の2店のビッグネームに引けを取りません。ソルフォードにあるHiddenやThe White Hotel、ノーザンクォーターにあるSoupやBand on the Wallなどのクラブは、メジャーなクラブに対抗することで独自路線を開拓してきました。一方、困難な時期に生き残る方法を見いだした店もあります。かつてマンチェスター屈指のレコードショップだったEastern Blocは、売上が低迷するとカフェに転業し、さらには深夜帯に営業時間を変更して、新進気鋭のDJたちがスキルを磨ける場としました。

再開発や景気低迷のために閉業に追い込まれた店もありますが、それらがマンチェスターのナイトライフを形作る上で重要な役割を果たしたことに変わりはありません。2000年代初め、ドラムンベースやグライムなどのジャンルがノーザンスタイルに解釈された頃のマンチェスターでは、オックスフォードロードにあったMusic BoxやJilly’s、ラスホルムの荒れ果てたAntwerp Mansion、ピカデリーガーデンズの地下にあった汗臭いRoadhouseが、数千人の学生たちが集う人気スポットでした。一方、街の反対側にあったSouthでは、クリント・ブーンが独力でマンチェスターのインディーズシーンの存続を支えていました。

ライブハウスと同様にレイブの歴史を形作ってきたのが、クラブイベントです。1990年代は、間違いなくマンチェスターの最もアイコニックなイベントの数々が生まれた時代です。LGBTを称えるFleshで経験を積んだマンチェスターのDJであるポーレットとキャス・マクダーモットは、ハシエンダ初の女性レジデントDJとなりました。また、ミスター・スクラフがソウル、ファンク、ディスコをプレイするKeep It Unrealが23年間も続いているのは感動です。1997年に始まった、ホモセクシュアル、ヘテロセクシュアル、レズビアン、クエスチョニング が集う場だったHomoelectricは、非常に人気のあるイベントとなり、今では毎年恒例のフェスHomoblocを開催するほどの動員数を誇っています。

しかし、2000年代半ばに、クラブイベントは大きな転換期を迎えます。警察がマンチェスター版フォーム696を使用し、ブラックミュージックのイベントが街の中心部から締め出されたのです。また、Warehouse Projectの専属契約によって、エレクトロニックミュージックの他のプロモーターがほとんどいなくなりました。同時に、Swing Ting、Hoya Hoya、Hit & Runなどのイベントでは、ブッキング方針に工夫を強いられました。しかしそれがきっかけで、思いがけずいっそう面白いクラブシーンが生まれました。主催者が地元のDJを起用し、マンチェスターの新たな才能が育まれることになったためです。

この他にも、マンチェスターの歴史には数々の重要な節目がありますが、中でも特筆すべきは、Konspiracyやその後のIslington Millなどのクラブが、相応の評価を必ずしも受けていないアーティストたちに拠点を提供していることです。ハシエンダのドキュメンタリーではたいてい取り上げられないHewan Clarke、レゲエマニアのMikey D.O.N、ヒップホップを専門とするDJ SilvaなどのDJたちは、マイク・ピカリング、グレアム・パーク、ア・ガイ・コールド・ジェラルドといった大物たちと同じくらいマンチェスターのナイトライフに貢献してきましたが、脚光を浴びていません。また、Renoをはじめとするクラブや、Black Angelなどのイベントは、黒人や混血のレイバーたちにとってかけがえのない場ですが、やはり知名度は高くありません。

最近では、マンチェスターのプロモーターやライブハウスのオーナーたちが、バリアフリーについて検討を進めています。その流れの先頭に立つYESでは、2018年の開業時から、4階あるフロアがすべて車いすに対応しています。また、Under One Roofという、学習障害を持つ成人を対象にしたレイブもあります。この他に、共同出資によるPartisanでは、コミュニティと活動家グループが無料でスペースを利用できるイベントを始めました。一方、RebeccaNeverBeckyやAll Hands On Deckなどの団体では、女性とノンバイナリーの人々にDJのやり方を教えるイベントを開催しています。

時代を画したライブハウス、クラブイベント、パフォーマンスを生んできたマンチェスターのシーン。この街のレイブシーンには、他の場所ではあまり見られない、特別な何かがあります。Greatstone Hotelのソーシャルサービスイベントや、Six TreesのRed Laser Disco、Kable ClubのSupernatureでは、独特のインクルージョンが見られ、40代や50代のレイバーたちと18歳になったばかりの若者たちが一緒に踊っています。これもマンチェスターにおけるクラブの長い歴史の賜物でしょう。マンチェスターのレイブが末永く続きますように。

Kamilaは、『SEEN』の共同創設者です。『SEEN』は、世界的な多数派と社会の非主流派のコミュニティがマンチェスターで制作している、新しい音楽雑誌です。『SEEN』は同誌公式サイトで購読できます。