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サブカルチャー

リビング・フォー・ザ・ウィークエンダー

Words by Sean Griffiths
Photos by Johnny Woollard, courtesy of the Museum of Youth Culture

1979年に始まった《Caister Soul Weekender》(以下、《Caister》)には、イングランド南東部のすべてのソウルボーイ&ガールが集結し、その後のパーティやフェスティバルに長年にわたり影響を及ぼし続けました。ハウスミュージックのアイコン的存在であり、《Caister》の常連でもあるTerry Farleyに、伝説のイベントがどのように始まったか聞いてみました。

近年のイギリスでは、音楽サーキットイベントの定番といえば各地のキャンプ場で開催されるウィークエンダー(週末のイベント)。《BLOC》《Bugged Out》《Southport Weekender》などのイベントが、ここ数十年の間にバトリンズやポンティンスを始めとするイギリス中のキャンプ場を占領し、家族向けのリゾート地が深夜の飲酒とダンスの巣窟に変えられてしまいました。しかし、1979年にグレート・ヤーマスのザ・ヘブンで始まった《Caister Soul Weekender》のコンセプトは、それまでにない画期的なものでした。

イギリスのハウスミュージックの伝説的存在であり、『The Faith Fanzine』の創始者でもあるTerry Farley は、「当時は、結婚するまで実家で暮らすことが当たり前でした。周りの連中で、大学へ行ったり、ペッカムに引っ越したりといったカッコいい人はひとりもいませんでした。だから3日間のウィークエンダーは、仲間と一緒に親元を離れられる絶好のチャンスでした」

イギリス南東部出身の他の多くの人々と同様、Farley は10代の頃、地元のパブの裏で開催されたイベントに通ったり、ロンドンのCrackersやダンスタブルのThe California Ballroomまで足を運んだり、Capitalラジオ局でGreg EdwardsなどのDJを聴いたりして、ソウルシーンにのめり込んでいきました。しかし丸3日間、ソウルにどっぷりと浸かるというチャンスは《Caister》が初めてでした。

マーゲートのナイトクラブ「Atlantis」(1978年)
パーリーのオールデイヤー(1980年)

Chris Hill、Robbie Vincent、Jeff Young、そして故Steve Howlett (DJ Froggy)などの「The Soul Mafia」と呼ばれるDJクルーが主催した《Caister》は1979年から半年ごとに開催され、イギリス南東部のさまざまなソウル勢が3夜にわたって集結することとなりました。

ウェッジヘア、ポロシャツ、Loisのコーデュロイ、ジーンズが当時のスタイルで、Donny HathawayやRoberta Flack、Parliamentなどのレコードは定番中の定番でした。

「メインルームは、ちょっとダサい感じでしたね。より広い客層を対象としていたため、流行りの曲をリピートでプレイしていました」とFarley は言います。「レコードをかけるだけでは来場者が楽しめないと判断した主催者は、古代ローマ人のコスプレや水鉄砲で土曜日の楽しい雰囲気を作り出しました。その結果、多くのコアの音楽ファンは離れていきましたが、逆にそこまで音楽好きではない一般の人たちがたくさん来るようになったのです。だから私たちはみんな『ジャズルーム』と呼んでいた別の会場へ行きました。そこには本物のダンサーたちが集まっていて、Eddie JeffersonやEddie RussなどのジャズやファンクのレコードをかけるSean FrenchというDJに誰もが夢中になっていました」

ウエストキングズダウンの「King’s Lodge」(1979年)

不思議なカルチャーが絶妙に混ざり合っていた《Caister》は、イギリスのリゾート地のキャンプ場という雰囲気のなかで、若者をターゲットとした刺激的なアクティビティを楽しむというものでした。しかしそれだけでなく、ダンスミュージックカルチャーの最先端にあり、次の40年のダンスミュージックの礎を築く世代にまでも影響を与える伝説的なイベントだったのです。

「サウンドシステムを供給していたFroggyは、イギリスのダンスミュージックの歴史において非常に重要なDJでした」とFarleyは言います。「彼はChris Hillと一緒にニューヨークの有名クラブ『Paradise Garage』へ行き、Larry Levan(Paradise GarageのレジデントDJでDJ界パイオニア)と友達になりました。そしてTechnics 1200を持って帰国しました。彼は、イギリスで初めて見たちゃんとビートマッチができるDJです」

80年代前半、ソウルシーンに身を置く者にとって、《Caister》は欠かせないイベントでしたが、80年代半ばになり音楽の流れが変わり始めると、イベントを運営するベテランのDJと新しい世代との間で、選曲に関する対立が起こりました。

Pete TongがDJをしたパーリーのオールデイヤー(1980年)

「《Caister》のメインのDJたちはヒップホップをプレイしないという決断をしたんです」とFarley。「それから、ハウスミュージックも絶対にプレイしないと決めました。だから彼らは時代に少し取り残されてしまいました。それで、Pete TongのようなDJがヒップホップをプレイしようとすると、《Caister》を変えようとしていると捉えられ、出番を外されたりしていました」

このように《Caister》では、クラシックソウル以外はプレイできないという頑固な姿勢をThe Soul Mafiaが貫いたため、他のウィークエンダーに客を取られてしまいました。

そんな最初の同類のイベントがNicky Hollowayがオーガナイズし、Danny RamplingやJohnny WalkerがDJを務めたドーセットの《Rockley Sands》。彼らは《Caister》では出番を得られなかったものの、イビサ島へ通いながらサウンドを進化させ、やがてアシッドハウスを英国に持ち込むきっかけを作ったDJです。

「《Caister》があまり注目されなくなったことは残念です」とFarleyは言います。「最初の数回は素晴らしく、多くの新しい文化を生み出しました。しかしその後は時間が止まってしまったのです」

グレーブセンドのオールデイヤー(1980年)

新しいサウンドを熱心に受け入れることはなかったものの、その後に登場した多くのウィークエンダーが消滅しても、《Caister》だけは今でも健在です。そして70年代と80年代のクラシックなソウルを心から愛するオーディエンスに支えられています。彼らの信念に乾杯!