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サブカルチャー

ストックポートの知られざる魅力

Words by Neil Summers

ブーツの販売から、ザ・ビートルズ、そしてブロッサムズが経営するバーまで、フレッド・ペリー生誕の地には音楽シーンの足跡が見られます。

大都市でありながら気取らない北部の街、ストックポート。フレッド・ペリー生誕の地としてご存じの方もいるかもしれませんが、ロンドンから終点のマンチェスターに向かう列車の最後から2番目の停車駅としか認識されていないことも少なくありません。とはいえ、大いににぎわう機会がなくても誇れることはたくさんあるのを知っており、隣の大都市の陰に隠れていても構わないストックポート市民(ストップフォーディアン)にとって、そんなことは大した問題ではありませんでした。そうした状況に終止符を打ったのが、旅するDJルーク・ユナボマーのInstagramです。その最近の投稿で、「新たなベルリン」というストックポートの真の姿が広く知られることとなりました。冗談を交えながらも誠実なコメントによって、ストックポートが実に素晴らしい街であるという、地元では既知の事実が、世界に向けて発信されたのです。地元きっての著名なテニスプレイヤーのゆかりの地にふさわしく、ストックポートにはサブカルチャーにおける長い歴史があり、その事実がようやく明らかになったとも言えます。

ストックポートのフレッド・ペリー生家に掲げられたブループラークストックポートのフレッド・ペリー生家に掲げられたブループラーク

ストックポートの歴史の背景を少し説明すると、マンチェスターから7マイル(約11km)離れたこの街は、リバプールに流れ込むマージー川の水源に位置しています。1960年代のストックポートには、ザ・ホリーズのマネージャーが経営する(グラハム・ナッシュも働いていた)Toggeryという店があり、ブーツを買いに来ていたザ・ビートルズなど、当時のマージービートの大物バンドがこぞってよく訪れていました。そうしたスターたちのライブの会場となったのが、Manor Lounge、Tabernacle、The Sinking Shipなどです。60年代後期には、ピンク・フロイド、ジミ・ヘンドリックス、ザ・フーなどのライブも開催されました。70年代に入ると、10ccが地元に最新鋭のレコーディングスタジオを作ろうと伝説のストロベリースタジオを開設し、ストックポートはさらなる発展を遂げます。代表曲「I’m Not In Love」をはじめとして、10ccの数々のヒット曲を生み出したストロベリースタジオは、わざわざロンドンまでレコーディングに行きたくなかったアーティストたちも迎え入れました。

ヘッダー写真提供:SK1 Records。「Stockport Music Map」(上)イラストレーション
:エミリー・フラナガン(@flazzle)/copyright The Stockport Music Story(@stockportmusicmap) ヘッダー写真提供:SK1 Records。「Stockport Music Map」(上)イラストレーション:エミリー・フラナガン(@flazzle)/copyright The Stockport Music Story(@stockportmusicmap)

ストロベリースタジオは、90年代に廃業するまで、数多くの有名アーティストに利用されていました。ファクトリー・レコードのプロデューサーであるマーティン・ハネットのお気に入りのスタジオでもあり、同レーベルの下で、ジョイ・ディヴィジョンの『Unknown Pleasures』のほか、ニュー・オーダーやハッピー・マンデーズといったさまざまなアーティストのレコーディングも行われました。ザ・スミス、ザ・ストーン・ローゼズ、インスパイラル・カーペッツ、ザ・シャーラタンズ、シンプリー・レッドなどによる、音楽史に刻まれている名曲の多くも、このスタジオで生まれています。また、インディーズを代表するアーティストにとどまらず、ラモーンズからポール・マッカートニーまで、あらゆる大物アーティストのレコーディングが行われました。さらに、スタジオで開催されたコンテストを勝ち抜いたゲイリー・バーロウが、テープオペレーターとして働いていたマーク・オーエンと出会った場所でもあります。まさに「北部のアビーロード」と呼ぶにふさわしいスタジオですが、ナッツフォード以南ではその名を知られておらず、ストックポートの存在感の薄さを物語っています。その他にも、音楽史から見たストックポートの興味深い点として、ジャーナリストのポール・モーリーが主張しているように、カラオケ機器が日本で生まれるよりずっと前に発明された地であることも挙げられます。1997年には、アーティストのジェレミー・デラーが、「Acid Brass」プロジェクトでストックポートのウィリアム・フェアリー吹奏楽団の協力を得て、「Voodoo Ray」の極めて魅惑的なバージョンなど、ダンスミュージックの名曲のアレンジのレコーディングを行いました。

Bohemian Arts Club Bohemian Arts Club

現代に目を向ければ、ストックポート出身のブロッサムズが、10ccに影響を受けて市内に自分たちのレコーディングスタジオを開設したほか、おしゃれなカクテルバーBohemian Arts Clubを経営しています。また、バッドリー・ドローン・ボーイと共に「ツイステッド・ナーヴ」レーベルを立ち上げたストックポート出身のDJアンディ・ヴォーテルは、「ファインダーズ・キーパーズ」レーベルをストックポートに設立して大きな話題を呼びました。筋金入りのレコード収集家で知られるアンディ・ヴォーテルは、パートナーのダグ・シプトンと共に、世界中の入手困難な名盤の発掘とリリースに尽力しています。おそらくそうしたことが、彼らに対して、ウータン・クラン、カニエ・ウェスト、ジェイ・Z、エリカ・バドゥなどのアーティストが、自身の曲のサンプリングを望んだり、制作協力を依頼したりする背景になっているのでしょう。モーターヘッドからモロコまであらゆるアーティストを輩出し、この地のベルリン になぞらえられるストックポート。その理由の一つは、地元のレコード店SK1が隣接するバーSpin Offと共に開催している、非常に熱狂的なストリートパーティにあるかもしれません。旧市街に、ミシュランの星付きレストラン、世界中の雑誌を扱う書店、おしゃれなヴィンテージショップと肩を並べて店を構える彼らが開く無料パーティには、地元の人気DJ(新進気鋭のDJからレジェンドまで)が招かれます。大勢の人が集まる様子は、全盛期とも言われるレイブシーン創成期を彷彿とさせます。次にマンチェスター行きの列車に乗る時には、ストックポートの駅で途中下車し、フレッド・ペリーの起業家精神が今なお息づいている生誕の地にぜひ足を向けてみてください。