Twitter Line Facebook Share
フレッドペリーシャツ

Origin Stories

最初のストーリー
2022年10月
Words by Esta Rae
Photos courtesy of the Museum of Youth Culture

フレッドペリーのポロシャツ誕生70周年を記念して、フレッドペリーのコミュニティの面々を迎え、それぞれにとってのフレッドペリーについて語ってもらいました。誰しも忘れられない「初めて」のストーリーがあります。

最初のフレッドペリーシャツが着用されたのは1952年のこと。それは白一色で、左胸にローレルリースが付いたものでした。シンプルなシャツにはさまざまな意味が込められています。数年のうちにこのシャツは、イギリスの若者のユニフォームになるとともに、極めて重要なファッションアイテムになりました。「ブリティッシュスタイルの伝統。スタイリッシュでありながら機能的。着ている人がいたら、自分に少しお金をかけていることが分かります。」(Peyvand Sadeghian)

多くの人にとって、初めてフレッドペリーシャツを買った時のことは忘れられない瞬間です。クローゼットの定番になるであろう1枚のシャツのために、週末のお小遣いを何週間分も貯めなければならなかった人もいます。「21歳頃まで買えませんでした。自分の誕生日に1枚買ったのですが、コヴェントガーデンのショップに行って選び出すことが一大イベントでした。実は、しばらくはその最初の1枚しか持っていなかったんです!」(Peyvand Sadeghian)

最新商品があるロンドン中心部のショップやマーケットを巡ったことを、初めての試着と同じくらい記憶に残っている人もたくさんいます。「初めてフレッドペリーのポロシャツを買ったのは1978年です。オックスフォードストリートにあったスポーツウェアの店で買いました。当時はそこそこレアで入手が難しい、貴重なアイテムでした。」(Ed Silvester)

そうして手に入れた初めてのフレッドペリーシャツは、気楽でありながらスタイリッシュで、いかようにも着こなせるおしゃれな一着として、繰り返し着られたことでしょう。「たくさん着過ぎてすっかりぼろぼろになってしまって、最後に着た時には脱ごうとして襟が全部取れてしまいました。その時初めて、フレッドペリーシャツが持つ大きな意味と、自分にとってどのようなものだったかがよく分かりました。このシャツとどれだけの冒険を共にしてきただろうかと。」(Barrymore George)

初代の白いシャツの発表から10年以上を経て、フレッドペリーは襟を取り巻く「ツインティップ」のデザインを、新しいカラー展開と併せて発表しました。それらが加わったことで、より幅広いシーンや年代に合わせた自己表現が可能になりました。「モッズリバイバルの時代は、フレッドペリーのいろいろな色のポロシャツとVネックセーターばかり着ていました。今でもフレッドペリーのポロシャツを着るのが好きで、何年かおきに買い替えています。」(Ed Silvester)

「フレッドペリーを着るたびに気分が上がります。よろいを着ているみたいに、安心感と帰属意識を得られるんです。体にぴったりと寄り添って、温かく守られている気分にしてくれます。」(Barrymore George)

モッズ、スキンヘッズ、ルードボーイ、レイバーはそれぞれ違いますが、労働者階級の若者たちのスタイルという点でつながっています。ファッションは常に、着る人の社会的階級を表してきましたが、20世紀後半の少年少女たちは、服飾の古典的な考え方に対する反抗心に満ちていました。その手段として、洗練されたポロシャツのようなクラシックなシャツを、独自のよりカジュアルで身近なスタイルに落とし込んだのです。「その時代の労働者階級と音楽シーンをつなぐユニフォームです。シャープさと着心地の良さを両立している一方で、ファストファッションや流行の対極にあります。生活に根付いた強力かつ伝統的な価値観を体現する、伝説的なアイテムです。」(Catherine Laz)

ユースカルチャーのファッションとは、服を引き裂いたり、服に漂白剤を飛び散らせたり、まだらにブリーチしたりすることを指すようになっています。それらをパリッとした清潔感のあるシャツと合わせることで、そうした服をあえて着ていることを表明できます。つまり、スマートにもだらしなくも装えるし、どちらでも注目を集める方法を知っていると示せるのです。「よく合わせていたのは、スタプレのパンツと、細いサスペンダー、ドクターマーチンです。スキンヘッズの間でブリーチジーンズがはやっていた頃は、自分でジーンズをまだらにブリーチしたりしていました。ペンシルスカートとジャケットにも合わせていました。フィッシュネットタイツとブローグをはいて。」(Catherine Laz)

フレッドペリーシャツは、イギリスの服飾と伝統の象徴です。フレッドペリーシャツには文化的な重要性があります。それは若者たちが、自らがたどるステータスやリスペクトを表現する服を見いだしたということ、そして、同じシャツを着た人に仲間意識を感じたということです。「フレッドペリーは、イギリスで長年の歴史を誇り、多くの人に愛される、サブカルチャーファッションを代表するブランドです。私の生活においてスポーツとカルチャーに常に絡んでるブランドです。」(Ed Silvester)

Barrymore George

フレッドペリーを初めて買ったのは1980年でした。2枚買って、その時に同じく初めて、スタプレのネイビーブルーのカッコいいパンツと、赤のハリントンジャケットも買いました。1枚はブラックにイエローのトリム、もう1枚はバーガンディにブルーのトリム。両方とも3つボタンでした。

12歳の時で、家に帰るとすぐに服を全部それに着替えて、ほこりっぽい芝がはげた広場でサッカーをしている友達に会いに、団地の道を胸を張って歩いて行きました。

彼らが僕をぽかんと見つめて、「すげえ」と言ったほんのちょっとの間、試合が止まりました。 ほんの1秒ぐらいのことでしたが、それで十分でした。彼らはどんなことがあっても試合を中断することはなかったのに、あの日は僕を見てボールが止まったのですから。そんな光景や気分を体験できたのはあの時だけです。

Catherine Laz

これは1982年の夏に、当時住んでいたスイスコテージのワンルームのバルコニーで撮った写真です。右が私の妹、左が私で、スカイブルーのラインが入ったブルーのフレッドペリーシャツを着ています 。髪型は脱色したブロンドのクロップカットにフェザー。スキンヘッズガールの定番でした。

いつもカーナビーストリートやレスタースクエアあたりをぶらぶらして、土曜日にはキングスロードに行き、日曜日にはThe Last Resortでショッピングをして(このポロシャツもそこで買ったもの)、夜はロンドン中のパンクやモッズやスキンヘッズのライブに出かけていました。

自分たちが世界の中心という感じで、楽しく過ごしていました。フレッドペリーシャツを着るというのはそういうことでした。自分がユースカルチャーの重要な部分を担っていることを、他の人にすぐに分かってもらえたからです。

Peyvand Sadeghian

ノースロンドンのアーチウェイでの写真です。2000年代の初め、The Boston Armsの2階でパンクとオイのオールデイイベントをやっていた時のものだと思います。出ていたバンドは思い出せません。

クリス・ロウが小さなデジタルカメラで撮ったスナップ写真です。当時は彼とはそれほど親しくありませんでしたが、何年も経ってばったり再会してから友達になりました。前にも会ったことがあるかどうか思い出そうとしているうちに、彼がこの写真のことを思い出したんです!

Ed Silvester

この写真は1979年の夏に撮ったものです。エッピングに住んでいた友達のアラン・スミスの寝室です。よくそこにたむろして、情報交換をしたり、音楽を聴いたり、次に観に行くバンドについて話したりしたものです。