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サブカルチャー

UKグライムシーンの探求

Words by Ellie Rousseau
Photos courtesy of the Museum of Youth Culture

海賊ラジオ、ベッドルームプロデューサー、ロンドンのコレクティブ、低予算DVDなど、UKグライムの起源をさかのぼります。

海賊ラジオ局、違法レイブ、レコードショップ、スマートフォンを通じてアンダーグラウンドでグライムのネットワークが生まれたのは、2000年代初期のことでした。高層ビル、屋根から伸びるアンテナ、地下室の3つがすべてそろうイーストロンドンのボウE3地区では、グライムのDIYカルチャーが根付き、その牽引役たちが都心の日々のプレッシャーをありのままにフリースタイルラップで表現していました。初期のグライムには、表現の自由と、若さと実直さを原動力とする一種のコミュニティがありました。

その後、FruityLoopsのような手頃な音楽ソフトを使ってより激しくダークなブレイクビーツが自宅や海賊スタジオで制作されるようになり、UKガラージやジャングルから派生していきました。グライミーなサブベースの低音楽器によって、MCはハーフタイムのダウンテンポの4ビート(いわゆるグライム)にラップを重ねることができました。グライムの始祖として知られるワイリーは、独自の氷のように冷たいビートから、自身のサウンドを「エスキービート」と呼んでいました。その後、ガラージビートと混同されつつ派生していく中で制作されたのが「Wot Do U Call It」です。そしてグライムのアーティストたちは、ロール・ディープ、ラフ・スクワッド、N.A.S.T.Y Crew、BBKといったコレクティブの連携・形成を進めていきました。それらのメンバーたちが新たなアーティストを育てる場を提供し、グライムのサウンドを確立させるとともに、クラッシュ(MCバトル)を生み出しました。

あまりビジュアルを重視しないジャンルであるグライムは、自宅収録のミックステープや、デジャヴュやリンスFMなどの海賊放送(放送通信庁に規制されてない場合)を通してその音楽を聴くだけで、アーティストの顔と名前が一致しない状況でした。それらを認識できるようになったは、リンスFMが海賊ラジオ局として初めてライセンスを取得した2010年以降のことです。

それまでは、2003年に手持ちのデジタルビデオカメラでグライムのアーティストを雑に撮影した映像がChannel Uでテレビ放送されただけでした。『Risky Roadz』や『Lord of the Mics』などのDVDシリーズは、地下室を埋め尽くすJammerのグラフティや、かつてはこっそりと(密告されずに)存在していた無免許の海賊スタジオといった、隠れスポットをクローズアップしていました。ジャマル・エドワーズも、2006年まではハンディカメラで仲間のMCのラップパフォーマンスを撮影して、SB.TVと名付けたYouTubeチャンネル(SBはSmokey Barzという自身のMCネームのイニシャル)にアップロードし、ストリートやクラブから発掘された有望なアーティストをネット動画カルチャーに紹介していました。海賊ラジオがクラブの年齢制限に満たない若者たちに向けて曲を流していたのと同様に、動画カルチャーはラジオを聴けなかったロンドン以外の人々に浸透していきました。

ユースカルチャーは既存のカルチャーに対するリアクションと捉えられることが多く、初期のグライムもガラージを起源としていました。そして、ダークカラーのトラックスーツ、フードを被るスタイル、エアマックスやニューエラ59FIFTYといったストリートのあらゆるスタイルを取り込んで、それらがグライムスタイルの代名詞となりました。こうして、レイブ(スニーカーでのクラブ入店は禁止)よりもロンドンのストリートの日常になじむスタイルが確立されていったのです。