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ロカビリー

サブカルチャー

Rockabilly

ロカビリー

2021年2月
Words by Jamie Brett
Images courtesy of Museum of Youth Culture

ジョニー・キャッシュのようなジェルで固めた髪型、エイミー・ワインハウスの象徴的なタトゥーなど、アメリカーナへの愛がいかにして広くサブカルチャーを生み出したかを探ります。

第二次世界大戦の陰鬱なムードが戦後の好景気へ変わっていくなか、アメリカは「より多くの時間とお金、そしてより高い生活の価値」に基づいた新たな自由を手に入れました。比較的若いこの国の劇的な台頭は、知らず知らずのうちにルネッサンス以来の最も影響力のある文化的な変化を引き起こします。すなわち、ユースカルチャーが誕生したのです。

ロカビリーはアメリカ西部で命名されたものの、ロックンロール、デニム、ヘアスタイル、タトゥー、車など、あらゆるアメリカーナへ傾倒する70年におよぶサブカルチャーを表現する代名詞となりました。その前身であるロックンロールのルーツはジャズとブルース。アフリカ系アメリカ人の奴隷制度の闘いの中で生まれた、哀愁を帯びた労働歌が特徴的です。 1940年代後半には、チャック・ベリーのような黒人ミュージシャンがサウンドを盛り上げたことで、ロカビリーというジャンルが誕生しました。

1950年代になると、ロカビリーはエルヴィス・プレスリーやジョニー・キャッシュのような白人主導のカントリー&フォークに影響されたサウンドへ変化し、世界を席巻するようになります。民間航空機での旅行、ラジオやテレビの発明といった技術の発展。同時に、キャデラックやシボレーのようなハイパフォーマンス型の「マッスルカー」の進歩は、神から与えられた新たな自由の象徴に。好景気産業と時代のリラックスした雰囲気が組み合わさり、ロカビリーのシーンが形成されていきます。

1960年代にポップスへとゆっくりと移行した後、1970年代にはパンクの地球を揺るがすような大爆発がきっかけとなりB級版のロカビリーが復活します。その代表例がザ・クランプス。また後のジョン・ウォーターズの映画『Cry Baby』でもロカビリーが風刺されています。これはパンキッシュな目線でアメリカのサブカルチャーに焦点を当てたものでした。市民の暴動と公的資金危機で困窮していた「ゴミみたいな」状態のアメリカを風刺で更生させようとしたのです。

1980年代と1990年代に入ると、ロカビリーは2度目のリバイバルを果たします。しかし今度はアグレッシブでハイペースなロカビリーの分派、サイコビリーとして。そしてサイコビリーのシーンがアメリカとイギリスの両国で形成されるようになり、世界の隅々までこのブームが広がっていきました。さらにモリッシーのギターリスト、ボズ・ブーラー率いるポールキャッツのようなバンドがロンドンで結成され、ロカビリーの集会が一般的に開催されるようになります。参加者たちは「ラットロッド」と呼ばれる自分たちでカスタムしたサビだらけの中古輸入車と完璧な1950年代のファッションを披露しました。

ザ・スミスのようなバンドや、同バンドの元ボーカルのモリッシーは、ロカビリーのスタイルとサウンドに魅了されオマージュを捧げています。エルヴィスの極端なライフスタイルと死が引き起こした、病的なまでのエルヴィス現象に憧れとノスタルジアを見出しているのです。ロカビリーそのものを模倣するのではなく、 モリッシーと彼のファンは(おそらくラットロッドのオーナーのように)エルヴィスのイメージやアメリカンドリームの弱さに魅せられた、センチメンタルな「ポストロカビリー」なのでしょう。

誕生してから50年という歳月を経た2000年代半ばになっても、ロカビリーの影響力は衰えぬまま。ミュージシャンのエイミー・ワインハウスは、キャリアの初期にLAを短期間訪れた際、フープイヤリング、1950年代のドレス、オールドスクールのタトゥーなどを取り入れた若い女の子たちのロカビリー風のチョーラスタイルに魅了されます。グラミー賞を受賞した2ndアルバム『Back to Black』でのエイミー・ワインハウスの変貌ぶりは明らかです。憂いを帯びたふてぶてしさがアルバムを通して響き渡ります。非の打ちどころのないバックコームのヘアスタイル、1950年代風のファッション、オールドスクールのタトゥーという姿でイギリスのお茶の間に登場すると、誰もが彼女に夢中になりました。さらに口元のマドンナピアスや履き古したバレエシューズといった独自のスタイルも取り入れることで、ロンドンのゼロ世代の生意気さも反映していました。