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夜明けと勇敢なレイヴオン

サブカルチャー

Dawn and the
Brave Rave On!

夜明けと勇敢なレイヴオン

Words by Alice Perera
Images courtesy of Museum of Youth Culture
Image right: Milo Cutting It Up at The Crypt, Bristol, 1985, taken by Beezer

ブリストルの使われなくなったスペースに新たな命を吹き込んだ、伝説的なレイヴシーンの遺産を辿る。レイヴ・トレインにご乗車を!

白い手袋、ホイッスル、“Mr Kirk’s Nightmare”……。

1980年代後半から’90年代前半まで、ブリストルのレイヴシーンは大勢の地元出身のDJやシンガー、プロデューサー、グラフィティアーティストで大盛り上がりをみせていました。当時のクルーといえば、スミス&マイティ、カールトン、ワイルドバンチ、プライムタイム、Ladies Posse、Elusive Ploy、F.B.I Crew、UD4、DDT、アン・ドゥ・トロワ、fresh4 / subculture / EasyGroove、デフ・コン、サブラブ、Ruffneck Ting、Conscious Club、フルサイクル、モアロッカーズ、Breakbeat Culture、Tokyo Sex Whale、ClubYeyo、UPA、On A Mission、98 Proof、Versitility、Freakencyなど挙げればきりなないほど。

毎週末至るところでパーティが開催され、レイヴァーたちがM4やM5高速道路に列を組んでロンドン、ブライトン、ミッドランズのウェアハウスパーティや、サマセットの野原へ向かいました。サマセットでは、常連ホストのスパイラル・トライブが参加者を異次元に連れ去るのでした。また、バースにあるイベントスペース「Bath Pavilion」ではイベント「Tribal Dance」が目白押しで、ブリストルではMutant Dance主催のフリーパーティが何度も開催されました。

当時、パーティ前の集合場所として悪名高かったのがバースにあるパブ「Hat & Feather Pub」です。

夏の間中、レイヴァーたちはイングランド南西部まで何マイルも車を走らせ、そして田舎道に車を放置して舗装されていない道を歩き、レイヴ会場である廃墟のような場所へと足を運んだのです。

Moon Clubで開催された「The Prime Time Crew」パーティのフライヤー 6アッパーヨーク通り、ブリストル 1990年5月17日木曜 写真:Chelsea Louise-Berlin
バルコニーに座る「第11回 Rave on Avon」のレイヴァー 2019年ブリストル 写真:Rosie Bond

1992年5月に行われた歴史的なCastle Mortonフェスティバルのように、何日間にもわたり開催されるレイヴもありました。数年後に、屋外での違法な集会に関する法律が制定されることになるきっかけを作ったのも同イベントでした。

新しいパーティの情報源といえば、電話ボックスに貼られたフライヤーに記載された電話番号。または、知り合いの知り合いが情報通ということも。インターネットが普及する前の時代、頼りにするべきは反体制的な地下の情報網でした。

クリフトン吊り橋で働く作業員の姿 1986年 写真:Beezer

秘密裏に組織されたネットワークには、DJ、麻薬カルテル、主催者、プロモーター、PA/サウンドシステム、旅行者のコミュニティなどが存在していました。

ブリストルでは、「Moon Club」「Papillons」「Busby’s、Locarno」「The Tropic Club」といったクラブでレイヴイベントが定期的に開催されました。

クラブの他にも、「Watershed」メディアセンターやアンカーロードのウェアハウスパーティ、不法占拠した建物、レックレードの飛行機格納庫、使われなくなった鉄道トンネル、クリフトン吊橋の下にある警察の射撃場などが会場となりました。

使われなくなった空間や建物がレイヴによって復活し、パーティ会場では次のフリーパーティの情報が飛び交っていました。廃墟となった倉庫では、何百人、時には何千人もの人々が催眠術をかけられたように踊り、トランス状態に。しかし駆けつけた警察によってパーティは中止を余儀なくされ、機材を没収して数人が逮捕されるということもしばしばありました。90年代半ば、現在イギリス最大の原子力発電所のひとつであるヒンクリーポイントにあった廃墟に群衆が押し寄せ、その当時「Steart Beach」と呼ばれていたこのレイヴイベントでは、約18台のサウンドシステムからアシッドテクノやジャングル、ハードコアなどが何日にもわたって鳴り響きました。

エイヴォン通りの「The Distance Yard」 2003年ブリストル 写真:Molly Macindoe

アメリカの最新テクノの輸入盤や、イギリスやヨーロッパのホワイトレーベルのレコードを扱っていたレコードショップも重要な役割を果たしていました。後には、DJが自ら削って作ったダブプレートのテープパックもたくさん出回りました。

DJやプロモーターの間では、フライヤーを貼る場所を巡って喧嘩が起こりました。パークストリートのTony’s Records、Replay、Soundsville、Plastic Wax、Revolver、Breakbeat Culture、Tribe of Oneなどのレコードショップは、特に人気がありました。

イギリス、アメリカ、ヨーロッパのアンダーグラウンド・ダンスミュージックの新進気鋭の音楽をシーンに広めたことで、無認可のラジオ放送、いわゆる海賊ラジオは、DJやプロモーターにとって重要なプラットフォームになりました。

ブリストルといえばナイトクラブと多様なサブカルチャーというイメージが定着しているでしょう。パンク、ディスコ、ハウス、ヒップホップなどのシーンから生まれた多くのDJが、オルタナティブなDIY世代を生み出しました。その新たなシーンには、クールなアンダーグラウンドのエッジが浸透しており、あらゆる境遇の人々が自分もその一部になりたいと感じたのです。反体制と社会的抑圧の名の下、彼らは両手を挙げて大音量の反復的なビートに合わせて踊ることで団結したのです。

ヒンクリーポイントで開催されたフリーパーティで踊る参加者たち 1997年ブリストル 写真:Henry Ratcliffe

誕生から40年経った今でも、ブリストルのレイヴカルチャーは健在です。「Motion」のように、全英のトップ10に入るとされているクラブもあります。「The Station(旧Bridewell Police Station)」では最近「Fantazia」が開催されました。さらに2019年にはテンプルミーズ駅の近くに本部を置くBoomtown Festival社が「Area 404」でイベントを開催したところ、一度に3,500人の観客を集めただけでなく、そのチケットは24時間以内に完売したという偉業を成し遂げたのです。

フレッドペリーとミュージアム・オブ・ユースカルチャーの共催によるヨーロッパシリーズ「The Road to Rave」。2020年9月に始まった同個展は、出発地点のマドリッド店から最終地点の新しいブリストル店まで、レイヴのルートを辿りながらヨーロッパ大陸を横断します。