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エイミー・ワインハウス「レジリエンスプログラム」

サブカルチャー

The Amy Winehouse
Resilience Programme

エイミー・ワインハウス「レジリエンスプログラム」

2021年7月

エイミー・ワインハウスの「レジリエンスプログラム」は、若者が薬物やアルコール、自分の健康についてより安全な選択ができるよう、2012年に設立されたプログラムです。

エイミー・ワインハウス財団は試験や人間関係のことで悩んでいたり、理想の見た目や行動を追求しなければいけないと感じている人など、大きなプレッシャーを感じている何千人もの若者たちを支援しています。これらのストレスは、心身の健康に大きな影響を与えます。

どんなに辛いことに直面しても前向きに対処する方法を見つけることができる人もいますが、薬物やアルコール、その他の自傷行為に及ぶようなより傷つきやすい人もいるということは周知の事実です。

だからこそ、「学校向けレジリエンスプログラム」を通じた薬物・アルコール教育への取り組みが重要なのです。2012年以来、エイミー・ワインハウス財団は300以上の教育機関を通じて30万人以上の生徒と活動してきました。

私たちはエイミー・ワインハウスのレジリエンスプログラムで活動するアンナに彼女の体験や活動について詳しく聞きました。

エイミー・ワインハウス財団のレジリエンスプログラムでどのくらいの期間活動していますか?
2016年からです。

プログラムに参加しようと思ったきっかけは何でしたか?
実は、最初はレジリアンスプログラムのことは全く知らなかったのですが、プログラムに参加していた恋人の父親が私にとって助けになると思って、チームの人に連絡を取ってくれたんです。その父親は今年で30年間も禁酒を続けていて、今ではプログラムで活躍しています。私はトレーニングに参加してみたのですが、楽しいと感じました。想像していたのとは違っていました。ただ自分の話をするだけだと思っていましたが、トレーニングを通してコミュニケーションの取り方を学んだり、自分の感情について周りの人と打ち明けることで、安全な空間にいるということを感じることができました。 それから周りの人を見習うようになって、いつの間にか各地の学校で自分の体験について語るようになりました。

アンナの体験
私はロンドンの南東部で育ち、父はグラスゴーのとても貧しい地域で育ちました。父は薬物中毒者で、ナルシストです。母は両親が医者という典型的な中流家庭で育ちましたが、抑鬱病を患っていました。

そのため、成長するにつれて2つの世界の間で身動きが取れないような感覚に陥りました。父は私が中流階級であることを常に恥じていましたが、私は父に認められたいという思いから常に父のように生きることを心がけていました。私が6歳の時に二人は決別関係になりました。私はとても安心したのですが、母はとても落ち込んでいました。子供時代はよく、家の中で母が寝ている間に一人で過ごしていました。子供のころは友達を作るのに苦労しました。私の姉は施設に入っていて、兄は麻薬中毒者でした。

兄を警察署に迎えに行き、週末は父とパブで過ごして、次の週末は母の両親にヴェネチアに連れて行ってもらう、というようなことをしていました。異世界にいるような経験ができて幸運でもありましたが、同時に自分の居場所を見失ってしまいました。

14歳のとき母がC型肝炎と診断されましたが、それは母がもっと若かった頃にヘロインを使っていたからで、私はとても恥ずかしい思いをしました。このことは誰にも言いませんでした。なぜなら、薬物や依存症には汚名を着せられることが多いからです。これらの精神状態を病気だと捉える人はほとんどいません。

いろいろな事がありましたが、その間ずっと、本当に孤独で自己嫌悪に陥りました。学校ではいじめられていましたが、気を紛らす方法といえばセックスと薬物への依存でした。

初めてお酒を飲んだのはいつだったか覚えていませんが、一人で飲むようになりました。母がいつも家にお酒を置いていたので、お酒を飲みながら、寂しくてMSNメッセンジャーで知らない人と話していました。精神的にとても弱くなっていたと思います。

私は14歳の時に薬物を常用し始めました。その時は薬物が自分にアイデンティティを与えてくれると思っていました。15歳になる頃には、周りから孤立してしまいました。その頃はタバコに依存するようになりました。転校したのですが、あまり学校に行くことはありませんでした。そして、母に追い出されました。仕事をするようになったのですが、収入を全部依存物に使ってしまいました。それから妊娠・中絶を経験しました。恋人とは二人で一緒に大量の薬物を乱用するだけの共依存関係になっていました。17歳でホームレスになり、空き家暮らしを始めました。17歳から23歳までホームレスとして過ごし、 空き家やホステル、あるいは路上で生活していました。

どのように「体験について語る」のですか?
7学年から13学年(12歳から18歳)までのセカンダリースクール(中等学校)を訪れ、1学年全員(最大約240人)が集まる集会に備えます。それから自己紹介をして、エイミーと財団の活動について話します。 多くの生徒は、エイミーが薬物の過剰摂取ではなく、アルコールの過剰摂取で亡くなったと聞いて驚きます。その後、20分ほど自分の体験について語ります。特に決まりはなくて、毎回、学校や生徒の年齢によって話の内容を変えています。例えば、どれだけ学校が楽しくなかったか、どれだけ孤独を感じていたかなどを話すこともあります。それからグループに分かれて、みんながどんなプレッシャーに直面しているかを話し合います。

レジリエンスプログラムで最も誇りに思うことは何ですか?
レジリエンスプログラムを始めて、薬物を断ってからどれだけ口数が増えたかを実感しました。自分が「ストレス」を感じているとは思わず、ただ「気分が悪い」と感じていました。自分が「孤独」だということにも気付きませんでした。色々な感情が渦巻いていましたが、その一つ一つに適切に対処する方法を知らなかったと思います。若いときは、とても傷つきやすいものです。振り返ってみると、14歳のときに朝の4時に外出するのは危険だったと思います。でも、相談する相手がいませんでした。学生時代は自分のセクシュアリティを完全に否定していました。両性愛者であることは良いこととはみなされていなかったからです。私たちの活動はただ学校に行って生徒たちに「薬物をするな」と訴えるのではなく、救いの手が差し伸べられているということを教えてあげることです。生徒たちに正直で打ち解けた話をすると、とても嬉しい反応が返ってきます。若者にとってSNS依存は問題です。これは自己評価やドーパミンの分泌量と関係しているため、ドラッグのように作用します。このプログラムにはさまざまな人がいます。学校や身近な人の話よりも、ここの人の話の方がもっと心に響くということもあります。

過去に戻って自分自身にアドバイスができるとしたら、何と言いたいですか?
「打ち明けてもいいんだよ」「安心できる人に相談することが大切だから」「抱えている問題が何であれ、助けになる方法がそこにあるから」ということを自分に伝えたいです。最初から私のような人を支援するための団体があるということを知っていればよかったと思います。家族が刑務所に入っている人のためのグループ、C型肝炎の影響を受けている人のためのグループ、両親がアルコール依存症の人のためのグループなど。差し伸べる手はあるのですから。恥ずかしいと思う必要も、恥をかく必要もありません。もし自分の問題について率直に話すことができていたら、状況は変わっていたかもしれません。自分の体験について話すようになったのは、語るためではなく実例を示すためです。こうした体験については多くが語られてきましたが、今は実際に見て感じることが必要です。

好きなエイミー・ワインハウスの曲は何ですか?
エイミーはとても優しくて、とても才能のある人でした。私が本当に共感した曲は「Back to Black」です。「私は100回死んだ」という歌詞には友人、パートナー、薬物ながもたらすあらゆる禁断症状に対するメッセージが込められているとともに、何かを失うたびに心が空っぽになるということを私たちに教えてくれます。

フレッドペリーは各コレクションでエイミー・ワインハウス財団への寄付を行うとともに、財団の重要な活動の支援を続けていきます。

詳細は amywinehousefoundation.org をご覧ください。