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またダンスを

サブカルチャー

We Dance Again

またダンスを

March 2021
Words by Paul Flynn

土曜の夜のドレスアップ、この素晴らしい儀式を讃えて。

我が家のキッチンシンクの下には研磨スポンジ、ガラスクリーナー、モップヘッド、漂白剤などの掃除用品を収納する戸棚があり、その一番下の段の左側には、靴箱が入っています。それは1年ほど前から一度も蓋を開けていない何の変哲もない靴箱。2021年3月下旬の現在、棚の扉を開けるたびに洗剤の心地よい機能的な香りが漂い、五感をくすぐります。同時に、1年前には想像もできなかった緊張が走ります。

それは、この変哲もない靴箱が今、「象徴的な生命」を持つ存在になったから。例えるとしたら、私の日常を記録するドキュメンタリー映画を撮影中の監督が、今まで誰も意識しなかったような場所へ突然熱いまなざしを向け、そこに命を吹き込んだかのよう。箱の中に入っているものとは? べっ甲の靴べら、茶色、黒、クリアのシューポリッシュ、母方の祖父が亡くなる5年前に譲り受けた丈夫な革製のブラシ、使いすぎてボロボロになった布が数枚、基本的なソーイングセット、そして6組の予備の靴 ひも。突如として、そのひとつひとつが、まるで制作前に集められた映画スターのような存在に見えてくるのです。

かつての生活では、この靴箱は少なくとも週に1度は出番がありました。土曜日の夜の外出前、完璧な身支度を行うための儀式に必要な存在だったのです。しかし普通の生活が完全に停止状態になり、箱の出番が完全になくなって初めてその儀式的な行為が持つ意義に気付きました。「服装を気にするということは、自分が何者であるかを気にしているということ」という考え方に出会って以来、この価値観は年々大きくなる一方でした。けれどもシンク下の靴箱は、それがどれほど特別な存在であるかを知らぬまま、1年間眠り続けたのです。だって、どこにも出かけられないのにお洒落したいと思う人なんていないですよね? 遠い親戚の葬儀ですら、ノートパソコンの画面越しに自宅から列席する状況なのですから。

英国政府が新型コロナウイルス回復への道に関する発表を慎重かつ暫定的にしたのはつい1週間前のこと。演説の仕方がどうだったということはどうでもよく、肝心なのはその内容。つまり、昨年の未曾有の一時停止状態に何らかの形で正常性が戻り、途切れた人生をつなぎ合わせるような楽しいことが再開できるようになるかもしれない、ということを示唆していました。安堵した私がもらしたため息が物にまで伝わったようです。再びスポットライトを浴びる日が来ることを知ったシンク下の靴箱も、感極まっている様子でした。

この知らせを聞いて一足早く営業再開の準備を始めたのは、バスルームの棚に並んだフレグランス。最近出番がなかった化粧水やローションは、再登板に向けて呼吸を整えています。「用意、ドン!」の合図でクローゼットの防虫剤が衣類の厄介な虫をやっつけてくれるでしょう。引き出しの一番上のお洒落なネクタイコーナーは、何ヶ月も感じることのなかった人の手の感触を待ちわびています。眉毛の手入れをするピンセットだって、再び注目を浴びるのです。もしかしたら、ああ神様、一番お気に入りのジャケットの洋服カバーを外したり、大切なニットにローラーをかけて手入れをしたりする日々が戻ってくるかもしれません。土曜の夜のドレスアップの儀式は、目の前にあるにもかかわらず、夢のようにはるか遠い存在でした。

コロナ禍でもいつもより素敵なものを身につけたいと思う瞬間や、自分をより良く見せたいという妙に競争心の強い、ちょっとした統合失調症のような感覚にも陥った時期がありました。しかしパンデミックという社会現象は、私たちの自己認識を大きく揺さぶったのです。たとえば、スクリーンに映る上半身だけ服を着たり、信じられないような髪型と共存する方法を学んだりと、奇妙なことが次々と起きています。いきつけのバーにあるビールサーバーに出る幕がないように、土曜日の夜に行われていた儀式が中止されてしまったことは、私にとって最大の痛手なのです。

平日の殻を脱ぎ捨て、街へ冒険に出る土曜日の夜。私たちは10代の頃から、自分の魅力を引き出す方法、お洒落に見せるコツを試行錯誤します。自分というブランドのいわば「マーケティング担当」になるわけです。胸にローレルリースを携えるのは、他の人よりもカッコいいことを見せつけるため。そしてやりすぎてダサくならないよう、少しだけセクシーでやんちゃな感じを出す方法を編み出すのです。納得がいくヘアスタイルを手に入れるまで、挑戦と失敗を何度も繰り返します。そして、ついに自分に合ったものが見つかると、毛が抜けたり白髪になったりするまで、そのこだわりのヘアスタイルを貫くのです。土曜の夜に着飾るという行為は、もう一人の自分への変身を意味します。オフィスでデスクワークしたり、車のボンネットの下で作業したり、サッカー場にいたり、スーパーでカートを押したり、病院の待合室にいたりする自分ではない、別の自分になります。最高のファッションに身を包み、土曜の夜の街という戦場に向かうとき、私たちは無敵の鎧を身にまとっています。これこそが私たちにとっての特別な服なのです。

そして社会生活が皆無だった昨年は、私たちの日常からお洒落をするという行為が消え去りました。多くの人々が、今後のファッションについて見解を述べています。「上半身だけ服を着て、ベッドから数歩の場所で1日を過ごす生活スタイルが定着するのでは?」「クローゼットの中にあるレジャーウェアは、伸縮性があり特別なケアも必要ない最強のアイテムとして、ファッションの勝者になるのでは?」「ソファでだらだらするのに最適なトラックパンツやパジャマ、古いスウェットこそが定番スタイルになるのでは?」それって本気?

わざわざ声に出して言いませんが、私たちは土曜にまたナイトアウトする準備を進めているのです。スケジュール通りに行くと、2ヶ月後には親友の勝負服にビールをこぼしながら楽しい時間を過ごせるようになっているでしょう。さらに3ヶ月後には呂律が回らない、物が二重に見えるという悲惨な状態でナイトクラブから転がり出てきて「5時間前のカッコいいオレはどこへ行ったんだ?」なんて思うことになるでしょう。そう、かつて当たり前だと思っていた、大好きな社会生活が戻ってくるのです。ライブで歓声をあげたり、フェスでもみくちゃにされたり、結婚式や洗礼式、葬儀で騒いだり、デートで悩んだり、クレジットカードを使って豪華なディナーを楽しんだり……。私たちに着飾る理由ができるのです。土曜の夜が再び始まろうとしていることを感じさせる曲を聴きながら、夜を謳歌するための勝負服に袖をします。自分を大切にしていることを示すための努力は惜しみません。

この気の遠くなるような空っぽの日々に終止符が打たれ、日常がどんどん良くなっていけば、自ずと服装に気を使うようになるでしょう。キッチンシンク下の忘れ去られた旧友たちを覗き、「そう遠くないうちに再び本来の役目を果たせるようになるよ」と伝えました(神様、どうかお願いします)。今は、収束後の生活に備えて靴を磨いておくほど楽しいことはありません。ピカピカに磨いても、街へ繰り出せばすぐに汚れるでしょう。汚れたらまた次の土曜日が来る前に磨けばいいのです。このサイクルが私に安堵感を与えてくれるのです。