スパイラル・ベイビー

2020年4月

Spiral
Baby

スパイラル・ベイビー

By Seana Gavin

シーナ・ギャビンがサウンドシステムチーム、スパイラル・トライブとの旅を語る。

スパイラル・トライブは1990年に結成されたサウンドシステムチームで、10年間カルチャーやパーティーに影響を与えました。シーナ・ギャビンはフリーのレイヴ・ムーヴメントに深く関わっており、いわゆるノマドコミュニティで生活し、ヨーロッパ中のパーティーに参加していました。彼女は、写真、フライヤー、日記のページなど、個人的なアーカイヴを共有しており、そのすべてが、社会や生き方に対するオルタナティブな価値観を含んでいます。

イケてる犬、フランス、2000年
年越しにスパイラル・トライブのバスの上でワンちゃんと。

私は1993年から2003年までの間、フリーのレイヴ・ムーヴメントに深く関わっていました。当時、仲間の大半はスクワット(無断で占拠した建物)に住んでいて、みんなオルタナティブなライフスタイルにハマっていました。ロンドンであの手のパーティに行き始めた頃、私はまだ15歳。オールドストリートにあったクラブ、Whirl-y-gigが行きつけでした。クラブは真夜中に閉まるので、その後みんなでレイヴに行っていました。初めて行ったときのことは今でも覚えています。ノンストップで一晩中踊り続けて、会場にいた全員と交流しました。ダンスフロアのエネルギーでみんながつながっているように感じていました。

パーティに行き始めたのは、キャッスルモートンで記念すべき1週間のフリーフェスティバルがあった翌年です。このフェスティバルはイギリスの田園地帯で開かれ、携帯電話がまだない時代に2万~5万もの人々が口コミで集まりました。トリのサウンドシステムチーム、スパイラル・トライブは、警察が到着しても最後まで音楽を流し続けていたので処罰を受けました。その後のレイヴで警察から暴力的な仕打ちを受け、2年にわたる裁判が終結し、イギリスでクリミナル・ジャスティス法(レイヴ禁止法)という厳しい法律が制定された後、彼らはフリーのテクニバル(テクノフェスティバル)を開くというミッションを継続するため、フランスに拠点を移しました。このサブカルチャーからBedlam、DIY、Hekate、Desert Stormといった多くのサウンドシステムチームが誕生し、ロンドンの倉庫、廃工場や郵便局跡、ロンドン郊外の野原や採石場などでイリーガルなレイヴを開催し続けました。こういったグループは、ヨーロッパ各地でスパイラル・トライブのレイヴに同行することもありました。

年越し、フランス、2000年
パーティはマルセイユの郊外だった。私は年越しの前夜に到着して、一晩中起きているという典型的な間違いをしたけど、なんとかメインイベントまで頑張った。とても寒い冬だったのを覚えている。毎朝、目が覚めると辺り一帯が霜に覆われて白くなっていた。パーティは最高だったけれど、大勢がイギリスへの帰国みやげにインフルエンザを持って帰ることになった。

私は長い期間、クルーと共に移動する仲間のトレーラーハウスで旅をしながら、いわゆるノマドコミュニティで生活し、フランス、スペイン、イタリア、オランダ、チェコスロバキア、ベルリン、ハンガリーのレイヴやパーティに参加しました。当時は、世の中も私たちの価値観も今とは大きく違っていました。私たちは非物質主義で最低限の資金で何の制限も受けずに生活していました。そしてこの生き方が永遠に続くと思っていました。あれはただの夜遊びだっただけじゃなくて、社会、世界、生活全般に対するオルタナティブな活動だったのです。

Mariana Platzのスクワット、ベルリン、1996年
組織化されたこのスクワットで3週間過ごした。あの頃は、都市を経由して旅を続ける若い旅行者は、ホステルじゃなくてスクワットに泊まるのが普通だった。滞在の終盤には、部屋の真ん中にボクシングリングがある大きな部屋に15人で寝ていた。ベルリンの壁が落ちてまだ数年という頃。道端にはよくパントマイム役者やパフォーマーがいて、人々は色々なものを拾ってきては彫刻を作り、街はグラフィックや政治スローガンで埋め尽くされていた。このポストカードは一例。「国境は人々の間ではなく権力と民衆の間に存在する」
学生時代
この手のパーティに参加し始めた頃、私はまだ学生。同年代の子となかなか話が合わなくて、学外の友人は大半がかなり年上で、すでに独立している人達だった。週末はずっとレイヴ・パーティーで過ごして日曜の夜は友人のスクワットに泊まり、そこから月曜の朝に学校に行く生活は、2つに分裂した人生を送っている感覚があった。
パーティ専用電話
まだソーシャルメディアや携帯電話が登場する以前の時代。口コミやフライヤー、そして会場への道順や情報を教えてくれる当日の夜限定の専用電話を通して、多くのパーティが開催されていた。見つけにくい会場の場合は、何台かの車が一団を成してレイヴを探しながら移動するという事態にもなった。
石切り場のレイヴ、ブライトン近郊、1999年
この写真は石切り場のパーティで夜明けに撮ったもの。屋外のパーティは、いつも屋内のパーティとは違うエネルギーがあった。とはいえ天候次第だからもっぱら夏の間だけだった。

シーナ・ギャビンは、キャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツ卒のロンドンを拠点とするアーティストです。2019年夏、パリのgaleriepcpで『Spiral Baby』と題した個展を開き、写真、ポスターやフライヤー、日記のページなど、個人的なアーカイヴを展示しました。

ギャビンによる写真の一部は、ロンドンのサーチ・ギャラリーで開かれたグループ展『Sweet Harmony: Rave Today』でも紹介されました。

seanagavin.com
@seanagavin