ピンドロップ

サブカルチャー

Pin Drop

ピンドロップ

2021年2月
Words Ben Perdue

小さくても力強い、ピンバッジのパワフルな表明を探る。

「バッジはストーリーを語る」。こう話すのは新人アーティストのコービン・ショウ。「特定のトライブやグループの一員であることを示す視覚的な言語というだけではなく、バッジは実に様々なことを表現できます」。音楽やサブカルチャーと強く結びつくバッジの本当のパワーは「アイデンティティ」、つまり自分であるということ。だからこそバッジはコレクターに愛されているのです。

「バッジを選ぶ基準は、まず自分が好きなバンドということ。次にデザインが分かりやすいかどうか。カラフルで細かいデザインもあれば、モノトーンで無骨なものも。ダサいのは絶対にダメ」。こう語るLA在住のケヴィン・ペダーセンは、カルト的人気を誇るインスタグラムのアカウント「The Best Badges」のオーナー。レコードを買う余裕がなかった時代にバッジに夢中になり、次第にアートワークに注目するようになりました。

「集めていたバッジは、友人のジョリー・マクフィーのBetter Badgesという会社が作っていたものだと分かった。ジョリーたちは1976年にラモーンズがロンドンのラウンドハウスでライブをしたときに、初めてパンクバッジを販売した。そして当時のあらゆるバンドの缶バッジを作るようになった。パンクス、ハードロッカー、ニューウェイバーなどが身につけていた。バッジは人と人を繋げるきっかけになったんだ」

『i-D』『Dazed』『Self Service』などの雑誌 で活躍するセットデザイナーのスザンヌ・ビアンの場合、パンクを現代的な文脈で探求するアイドルたちと彼女を繋げてくれたのがバッジでした。「エックス・レイ・スペックスのボーカル、ポリー・スタイリンには多大な影響を受けた。ソーホーのPush Barで2000年代半ばに共同主催していたクラブイベント〈Girls in the Garage〉の最初の曲は決まって“Oh Bondage, Up Yours!”」と彼女。「ポリーはよくある円形のピンバッジとブローチをミックスしてつけていた。だから私もいつも20個くらいつけていたの」。今ではバッジやピンがパンクスと直結していないのと同じように、ビアンがデザインの参考にするものもその後変化していきました。

「ソーシャルメディアが登場する前は、自分の支持するカルチャーを世にアピールするための方法を見つけなければいけなかった。70年代のディスコの場合はジャケットのラペルに、80年代後半のアシッドハウスはオーバーオールのストラップに、ダンスカルチャーでもバッジが使われていた。」とダンスミュージックの歴史にまつわるグッズや資料のコレクションで有名なワイルド・ハウス・アーカイブのスティーヴ・テリーは言います。

テリーのお気に入りは、あらゆるバリエーションのスマイルマーク、そしてNYの伝説のクラブパラダイス・ガレージやダンステリアのロゴバッジ。その理由は「バッジは楽しいだけでなく、インパクトのあるビジュアルメッセージを伝えられるから」。バッジはイベントを記念し、シーンのスローガンを発信したのです。

アート、写真、文章、音楽を通して政治と社会正義を網羅するジン『Hate』の共同創始者であるLuisa Le Voguer Couyetは、バッジが主張する様々なタイプのスローガンに触発され、収集するだけでなく、オリジナルのバッジを作るようになりました。「バッジは政治的なメッセージを伝えるのに効果的。小さいのでメッセージを面と向かって叫んでいるようには感じないし、気軽に主義や運動をサポートできるから」と彼女。「“ネオリベが私をそうさせた”や“医療従事者を殺さないで”など、『Hate』のバッジはすべて政治的、風刺的なスローガンを掲げている。私たちが作った反保守党のバッジが大好きで、通勤電車の中でつけていると笑えてくるの」

支持する政党やフットボールチーム、好きなサブカルチャーを表すバッジ。最終的には、その人の「アイデンティティ」に帰結します。「例えば80年代の鉱山労働者のストライキで有名な“Coal not dole(失業保険ではなく石炭を)”のバッジのように、抗議のために使うこともできる。でも大切なのは誇りを持って身につけることだと思う」と22歳のショウは言います。

ショウのアート作品は、階級や性的役割、政治に意見するために国家主義やポップカルチャーのシンボルを取り入れています。そして国旗やバッジを通して人々がどのように自分を表現しているかを探求しているのです。「バッジをつけている人の好きなところは、老若男女を問わず自分の個性の一部を意識的に胸に携えて表現しようとしていること」