イタリアン・レイヴ・カルチャー

SUBCULTURE

Italian Rave Culture

イタリアン・レイヴ・カルチャー

Words by Riccardo Ramello
Photos courtesy of the Museum of Youth Culture, taken by Molly Macindoe and Tony Davis
2020年11月

90年代にイタリア各地で自然発生したレイヴシーンを探る。

遊牧民のように拠点を移しながらのイベント、サウンドシステム、レイヴトライブ、束の間のダンス旋風 – これらが一挙に爆発し、その後数年間に起こる世の中の流動性と加速を先取りして映し出した90年代初期のイタリアンレイヴを取り巻くカルチャーは、パンクやDIY(Do It Yourself)の精神、フィリップ・K・ディックの小説やサイバーパンクのムード、スピリチュアリズムやリチュアリズム(儀式主義)、更には政治的行動主義やハキム・ベイのTAZ(一時的自律ゾーン)概念にまで根ざした刺激のモザイクであり、その現象を把握して、体系化したり、マッピングするのは容易ではありません。イタリアで自然発生したレイヴシーンの最先端では、パーソナルな時間を取り戻すこと、賃金労働の拒否、表現の自由、自己決定、尊敬、反禁制主義、コミュニティ意識といった価値観が重要視されましたが、レイヴと言えば大抵、世間のメインストリームから外れたテンポラリー空間で共有できる音楽や幸福感のことを指していました。

やがてイタリアで、レイヴ・カルチャーは既存の自主的な政治運動と相反しながらも絡み合うという関係へと変容していきます。当初はスクワット(無断で占拠した建物)や占拠されたcentri sociali (ソーシャルセンター)に、新しいテクノシーンやサウンドの発展、コミュニティ革命の可能性が見出されることはなく、大抵それらの行為は右翼や主流派というレッテルを貼られていました。

レイヴを開催するクルーの多くは、スクワットや政治運動の硬直的で時に偏狭的な態度に対抗し、横に繋がった集団構造を促進しながらレイヴを自主運営しました。しかし、そのような反文化的とも言える自己統治的なスペースの中には、ミラノのCox18、Squott、Pergola、Leoncavallo、Area 51、トリノのLa Lega dei Furiosi やPrinz Eugen、ボローニャのLinkやLivello 57、ローマのthe Forte Prenestinoのように、初期のアンダーグラウンド・エレクトロニック・シーンの出現、ハイブリッド化、実験のきっかけとして重要な役割を果たしたものもあります。

ほとんどのレイヴは、近年の産業恐慌の犠牲となった都市中心部に近い廃工場や放棄工業地帯、または一時的に占拠した森や野原など自然のスポットを舞台に、インスタレーション、音楽、ダンスを通してその空間を再利用または再構築して開催されました。

レイヴ・ネイションにおけるDIYと相互主義の精神とは、このコミュニティの中では、誰もが自分のスキルを共有し、共同体としての体験のためにパーティーエリアの設営、解体、掃除や片付けを手伝うことを意味しています。

当時は、私たちが今日知っているようなインターネットは、まだ蜃気楼のようなものであり、パーティーに関する情報は、同人誌、レコード屋、フリーの独立系ラジオ、口コミ、SMSでしか得られませんでした。独創性に富んだトリノのDEA (Dance Enforcement Agency)やAcid Drops 、ローマのHard Raptus、トリノとミラノの繋がりから生まれたOLSTADは、イタリアの違法レイヴシーンを盛り上げた最初のキーマンとして知られるレイヴクルーです。音楽に関しては、プログレッシブ、ハードコア、ガバ、そして様々な形態のエレクトロニックミュージックやハウスミュージックが、Number One、l’Ultimo Impero、Cocorico のような巨大なメガクラブで演奏されていましたが、レイヴに参加するほとんどの若者たちは、レイヴはメインストリームで商業的なものだと捉えていました。

やがて、トランス、ゴア、ブレイクビーツ、ドラムンベース、ブレイクコア、ガバ、そしてテクノから派生したバリエーションのような、よりアンダーグラウンドなサウンドは、メガクラブよりも違法レイヴの最前線で見られるようになりました。サンタルカンジェロ(リミニ県)近くで開催されたMutonia yardは、パフォーマンスアートグループのMutoid Wast Companyが自分たちの活動の場として運営し、有名なサイバーパンク映画『マッドマックス』のディストピア的な世界観が染み込んだ完全な幻覚ワールドを創り出したことで、90年代初めに注目されたレイヴシーンのひとつと言われています。Mutoid Waste Company は、花火ショー、イマーシブ・シアター(体験型演劇)、ボディ・モディフィケーション(身体改造)、溶接されたスクラップや残骸で作られた巨大アートインスタレーションなどを開催し、レイヴ体験を新しいレベルに引き上げました。

その後、1995年には、レイヴクルーと旅行者を対象にした「クリミナル・ジャスティス法(レイヴ禁止法)」がイギリスで制定されましたが、その頃にはレイヴは若者たちが数千人規模で開催する全国的な現象に成長。この法律によって、イギリスの一団の中には、レイヴシーンを決定づけた象徴的グループであるスパイラル・トライブのように、自分たちのサウンドとパーティを引っ提げてヨーロッパを巡り始める集団も現れ、またイタリアでは、フリーパーティー時代の始まりと初の大規模なテクニバル開催に繋がる転機となりました。違法なレイヴの最先端は多くの面で変化しつつありましたが、それら数年間の出来事を通して残ったものとは、既存のものを一から再定義し、「produce, consume, die(生産し、消費し、そして死ぬ)」 という世の中を支配する定説を覆すことで生み出される、新しい形のDIYやディストピア的な未来の創造に繋がる原動力ではないでしょうか。

フレッドペリーとMuseum of Youth Cultureがヨーロッパで開催する「The Road to Rave」展は、9月にフレッドペリーのマドリード店でスタート。大陸を横断するレイヴ集団のルートを辿り、次回はCorso di Porta Ticineseにあるミラノ店へと展示スペースを移します。fredperry.comでぜひこのストーリーをフォローしてください。