オール・アワ・トゥモローズ:Day3 ブラック・カントリー・ニューロード

オール・アワ・トゥモローズ

Day Three -
Black Country
New Road

Words by G.G
Photography by Sharon Lopez and Chazz Adnitt

ロンドンの音楽通たちに最新かつ最先端の音楽を届けることを目的に、フレッドペリーが年に一度開催する「オール・アワ・トゥモローズ:All Our Tomorrows」。昨年の終日公演にはブラック・ミディ、ジョックストラップ、コヤック(Kojaque)などが出演、大成功を収めた。2019年も昨年同様、3日間に渡ってかの100クラブを埋められる、才能あるアーティストが多数登場。9月のうだるような暑さの土曜日、世界最古のインディペンデント系ライブハウスは、革新的かつエキサイティングな未来への鍵を握る、貪欲な音楽ファンであふれた。

チケットを手にした人々がぽつりぽつりと入って来るなか、オープニングアクトを務めたのは、純粋に心の赴くままを表現するアーティスト、ブラザー・メイ。コビー・シー、ミカ・レヴィとともに、レコードレーベルであると同時にコミュニティでもある集団、「カール(Curl)」を創設したメイ。彼の作品のベースは主としてエクスペリメンタルな要素で、デビューアルバム『Aura Type Orange』からのトラックでは、コンセプチュアルなサウンドと真摯なフローのラップによって、ステージ上にその誠実かつ輝きのある存在感を示した。エネルギーと謙虚さを捉えたラップを武器に、ステージの端から端まで歩き回る彼のポジティブさは、二日酔いした100クラブのオーディエンスにとって一杯のジンジャーショットのよう。

自らを「ファンタスティック・プラネットからやってきたエイリアン」と称するレアラニ(Lealani)だが、その主張はおおむね正しい。彼女の才能はあくまで地球外生命体的であり、実際の出身地がLAのポモナである事は問題ではない。傑作トラック「Floating」が会場の上空をUFOのごとく漂うなか、若さ、あるいはそのスピリットをこの上なく愛らしくイノセントに体現する、フリーフォームなパフォーマンスを披露した。彼女がこの若さで今後どんな作品の数々を生み出していくのか、期待が高まる。

続いて登場するのは、テイラー・スカイ。常に自分の領域を拡張し続けている印象のアーティストだが、そのセットリストは、説得力ある楽曲の数々によって一貫して高いクオリティを保っている。ジョックストラップの片割れである彼は、ここ一年でいわゆるロンドンの音楽シーンから、より興味深く実験的な方向へと転換を果たしたようだ。20分間のステージの大半で、じっと動かず、ブルージーにうねるシンセの洪水と誤作動のような断片的なシンコペーションにより、オーガニックとシンセティック、デリケートとロボティックな感覚の間でバランスをとり、彼が漂わせている魅力と矛盾するような、陰鬱な雰囲気を演出した。

軽快なジャズが作るくすんだ壁に隠れて登場するのは、ロンドン生まれのラッパー、オスクエロ(Osquello)。先ほどのブラザー・メイにも似た大らかなスタイルで、失恋の喪失感から日常的な不平等まで、一見かけ離れたストーリーでも素朴かつ気楽に取り上げる。レイドバックした肩に力の入らないオスクエロのフローは、ロイル・カーナーの親しみやすいクールさから、アーチー・マーシャルの独創的な質感に至るまで、幅広い表情を見せる。今後頭角を現していくアーティストであることは間違いないだろう。

続いて、ハンナ・ヘイデンによるDIYシンセポップユニット、プラトニカ・エロティカがステージに登場。出身はニュージャージーのヘイデンだが、哀愁あるパワフルなトラックと切れ味鋭いバックバンドを武器に、湿ったロンドンのライブハウスに真の居場所を見出した。今夜もいつものように、ハミングするカシオ製子ども用キーボードがメランコリックな馬鹿騒ぎを浄化する、デビューシングル「Wasted」によって、20分間にわたるテクニカラーのポップな白日夢へと会場をいざなう。その鮮やかかつ眠りを誘う、時として生意気なベッドルームポップが、個性あふれるスタイルでたゆたっていた。

グレート・ダッドがステージに現れた時点で、場内は目眩がする程の最高潮を迎えた。5月にリリースされた彼らのデビューアルバムは、デジタル時代にトランスジェンダーとして存在する事に対する、歪んだ、時に崇高な、また時に風変わりな、断片化された省察だ。音源としても興味深いものだが、ライブではまったく変貌を遂げ、野獣の様相を呈する。おそらくアルバムで最もまとまりがあるであろう「Blood Dirt」でさえ、きわめて生々しく粗削りで、したたるようなエモーションを見せる。すべてにおいて10倍の重量感、10倍の生命力を感じさせ、オーディエンスも10倍のエキサイティングさを受け取る。100クラブに集まった聴衆の多くが、バンドが放出するまばらで風変わりな電子音の虜となった。音のパーツはそれぞれ天啓のように響き、あるポイントでどこからともなくフルートの音色が聞こえて来ると、オーディエンスはそれを大喝采で迎えた。チャーリー・ローンのアイリッシュ・アクセントは時に印象的で、特に彼が最も感情を込めて歌う瞬間には、トラックはまるで時空を超えた戦場での号令のように響く。中毒性のある存在感を存分に発揮し、身悶えし手足をバタつかせる動きのどれを取っても、彼をいかなる感情とも結びつける事を拒絶する。本当に、とてつもないライブだった。

徹底的に奇妙なセットを繰り広げたのはジャーキン・フェンドリクス。ボロボロで死にそうな、威圧感すら感じさせる姿で100クラブのステージに現れた。このロンドンポップ界の奇人がオール・アワ・トゥモローズのオープニングアクトとして出演した昨年は、起床時間が午後2時といった夜行性の人種たちを相手にした事もあり、呆れるほど反応が鈍かった。しかし今年は疑う余地もなく超満員のオーディエンスに対して、はるかにダークなセットで挑んだ。セット前半では一貫して、ナイン・インチ・ネイルズ風に冷たく歪んだ質感の、陰鬱かつ不吉なインダストリアルロックを不機嫌に展開したが、セット終盤に向けてはダークな雰囲気から一転してテンションを上げていき、ウインドミルではお馴染みの数曲をセット終盤に披露する直前、「Swamp」におけるユーロダンス的クライマックスでは声を張り上げた。

ラスト前は、デンマークから来たノー・ウェイブのならず者、パーダンズ。もしこの先もオール・アワ・トゥモローズがこのバンドのセットのようであり続けるなら、まだまだ期待できるという事になる。この5人編成バンドの聴きどころは、ダニエル・ハノレによる、しゃがれた金切り声を上げる、息を吹き込むたびに地面が揺れるようなサキソフォン。轟音で繰り広げられるクレイジーなセットは、曲が進む度に音圧が増していく。ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズを思わせる突然変異的なディスコミュージックと、ザ・ストゥージズの麻薬的に荒々しいギターサウンドを見事に融合させたこのバンドでは、リードシンガーのグスタフ・ベルントセンも同様に魅力的。登場はややぎこちなげなパンクのフロントマン風だったが、セットが進むにつれて挑戦的になっていく。クライマックスではオーディエンスに襲いかかり、一部のオーディエンスをマイクのケーブルで縛り上げた。

この夜のラストを飾るのは、ケンブリッジ出身でロンドンを拠点とするブラック・カントリー・ニュー・ロード。このコンボの計り知れない魅力の一端は、どこかの村のブラスバンドが突然悪魔に取りつかれたような雰囲気を漂わせている点だ。彼らの特徴は、オーバーサイズのセーターを着た彼らおなじみのパフォーマンスである、悪魔的なサックスと泣き崩れるヴァイオリン。大人数のメンバーが満員の観衆をかき分けて進み楽器を取ると、ロンドンの気さくな若者たちが、映画『光る眼』(The Village of The Damned)における子供達のロンドン版に一瞬で変貌する。

セットの幕開けは常軌を逸した濃密なトラックで、狂気じみたサックスの炸裂から始まり、のっそりとした耳障りなファンファーレへと瞬時に融解していく。サックスのルイス・エヴァンスが超絶技巧と特異なカリスマを発揮し、パワフルな悪魔祓いの儀式を繰り広げる。執拗に続く次の曲では、その狂暴性が最高潮に高まったタイミングで、頭をやや後ろに引いたフロントマンのアイザック・ウッドが呟く。「ちょっとパーティーに遅れたっぽいね」。

セットのハイライトである最新シングル「Sunglasses」で、バンドはフィナーレに向けて疾走していく。イントロではアメリカン・フットボールばりのぎこちないギターが地慣らしし、それを受けたウッドは、特権階級の生活に関する冷ややかであいまいな省察について話し始める。エヴァンスのサックスとジョージア・エレリーのヴァイオリンがメロディアスに続くと、ウッドは「そしてモノづくりは昔とは違う – これが英国のエンジニアリングの絶対頂点(and things just aren’t built like they used to be – the absolute pinnacle of British engineering)」と叫ぶ。シンプルなブラック・サバス的リフと、荒れ狂うストリングスのモチーフに乗せて獣のように絶叫する「Sunglasses」の後半は、まさにこのセットのハイライトだ。「僕には十分過ぎる能力がある/親父の仕事をここから外してくれ(I’m more than adequate/leave my daddy’s job out of this)」とウッドが吠えると、バンドの目論見通り、曲は狂乱のカオスのうちに瓦解した。

ブラック・カントリー・ニュー・ロードは英国指折りのエキサイティングなバンド。スリントとアメリカン・フットボールの神経症、スワンズとゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーのダイナミックなエネルギー放出、テレヴィジョン・パーソナリティーズのスポークンワードを交えた辛辣な考察。これらを融合させることでこの上なくフレッシュで魅力的なサウンドを生み出し、木曜夜のスキッドや、昨年出演したブラック・ミディのように、彼らのプレイはクールの極みに到達する。時として、この世界とアートの現状について非難するのは安易なものだが、もし未来がブラック・カントリー・ニュー・ロードのステージと同じくらいにまばゆくエキサイティングなものであるならば、その到来を待ってみるのも良いかもしれない。