オール・アワ・トゥモローズ:DAY1 スキッド

オール・アワ・トゥモローズ

Day One -
Squid

Day1 - スキッド

Words by G.G
Photography by Sharon Lopez and Chazz Adnitt

「サブカルチャー」という言葉を今使うと、セルフパロディ、あるいは美化になりかねない。この言葉で一体感が高まるどころか、ビジネスに利用されることも。サブカルチャーといえば、快楽主義的だった過去の遺物、あるいは自由な思想の商品化における新手の搾取手段として存在することが多く、往々にしてそこにはエモーションがない。この夜は、その反証となるべく幕を開けた。

愉快な架空のキャラクター「Mr.ケイン」がこの夜に奇想天外なパワーを注入した。一瞬でもインディーズのオーディエンスが笑ったり、ダンスまでしたりするのは微笑ましい光景だ。母音を伸ばした南部訛りを操り、米国旗を身にまとって別キャラのMr.ケインを演出したラザラス・ケインは1978年当時を振り返り、100クラブの「中じゃなくて外の灯りで騒いでた。外からもガンガン盛り上げてやれってね!」と語る。メッシュ、メーキャップ、ゴルフウェア、鍵盤柄のタイ、そしてさまざまなスポーツサングラスを身に付けたラザラス・ケインと彼のバンドは、面白可笑しいだけでなく、今どきのバンドは躊躇するような極上の楽曲も書く。癖が強くビートの効いたメロディー、弾けるようなハーモニー、歌について歌った曲といったウィットに富んだ曲のテーマ、そして「I Do All My Own Stunts (featuring Harrison Ford for Legal Reasons)」。バンド全体が極上のエンターテインメントだ。ヘブンリー所属のケイティ・J・ピアソンによるこの上なく美しいトーンが輪郭を際立たたせ、見事な仕上がりとなった。

続いてはPOZIが登場。ドラム、ベース、ヴァイオリンという珍しい編成のこのトリオは、ロンドン出身。ある種神経症的な、濃密なエネルギーを発散する。ザ・ブロックヘッズ風にバウンスしたサウンドとジョナ・ルイのフィーリングを兼ね備えたPOZI。こうしたスティッフ・レコード風パブロックの輝きに、独自の現代的な考察と驚天動地の力強いストリングを融合している。不安をかき立てるようなヴァイオリンは、耳元を猛スピードで飛んでいく蜂のようで、振り払うことができない。歌詞からは英国における不安の時代の症状が滲み、「私たちはあなたを決して置いて行きはしない(we’ll never leave you behind)」と、絶えずリードシンガーを交代しながら上昇するハーモニーでコーラスし、次のスカ寄りのバップへと突入。その楽器編成ゆえ、POZIのサウンドには常にしっかりした芯がある。そのためヴァイオリンのローザがセット終盤に向けてメロディーを担う際には、コクトー・ツインズ風の不気味なスラップバックを加えたボーカルによる、新しいトーンが加わることに。最後の爆発的な曲では、重心の低いベースに合わせて彼女の指が蜘蛛の脚のように弦の上を踊り、ドラマーの無尽蔵のエネルギーをひたすら追走した。

完璧なトリを飾ったのはもちろん、貪欲かつ愉快で大胆不敵なスキッド。意識の高さ・知性・内省性はかなりのもの、それでいてお高くとまっていないのが、ステージ後方の白いスクリーンに映し出されたドラマー兼リードシンガーから見て取れる。スキッドのサウンドと奏法によくあるように、彼も今、自分自身への遅れたリアクションとして存在している。その音楽性は伝統を拒絶するようだが、それでいて排他性やヒエラルキーは皆無で、オーディエンスは常に一体感を共有する。それは、音楽と絶えず変化していくリズムとメロディーへの開放性によるものであり、そこからは思わぬアクシデントが発生していく。こうした継続的な循環こそがスキッドのセット特有のもの。一曲一曲が、装填されたリボルバーから発射される魅力的かつ凶暴な銃弾だ。

セットに筋立てはあるものの、型にはまった印象はない。それは他の多くのバンドよりもはるかにメンバーと楽器がお互いに本質的な部分で依存しあっているから。絶え間なく会話が展開され、彼らはそれに参加していく。その一例が「The Cleaner」。この曲では、ドラムのオリーとギターのルイスが楽しげにリードを奪い合い、一つの物語が二つの角度から展開され、声が変わるたびに同じ物語の違うバージョンが語られる。その後はもちろん、オーディエンスのフェイバリットである「House Plants」。循環するベースラインが常に一拍先行している印象のある曲だ。気まぐれな句読点のようなオフビートが、とりとめのないこま切れになったメロディー構造を作り出し、この曲が表現するミレニアル世代の神経衰弱にフィットする。スキッドが作るのは、悪意がなく冷笑的でもない、ユーモアに満ちた知的でアップビートな音楽。何よりも重要なポイントは、正真正銘のエモーショナルだ。

今宵DJとして場の空気を作り、予言者的役割を務めたのはグロウズ(マルコ・ピニ)とサヴェージ・ゲイリー(ダン・ケアリー)。グロウズは自身のベビーフェイスとは裏腹に、ダブ寄りの軽いサウンドで巧みに緩急をつけ、力の抜けたクールな空気感を演出。その後プレイしたサヴェージ・ゲイリーはよりハードに、自作のモジュラーシンセを駆使してディープなビートとテクノの雨を降らせた。ケーブルの奔流のあちこちで指をひねったりひっくり返したりと、その様子はあたかもマッドサイエンティストのようだ。

この夜最大の収穫は、優れた音楽を通じたエモーショナルなフィーリング。シンガロングの瞬間とクラウドの笑顔によって、携帯電話の出る幕などない、心に残る夜となった。初めから終わりまでエネルギーが切れになることなく、真の音楽的サブカルチャーと知的なサウンド、そして深い思考という、この街が今でも美点とするものが反映された夜だった。ロンドンはまだ、その魅力を失ってはいない。